続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

好奇心について

今日は、息子の14歳の誕生日で、ランチは友だちと。うちひとりはかれこれ1年ぶりの再会だ。

だから、今日は仕事にはならないので、メールの出入りをさくさく片付けるのみ。

GW明けの昨日は、執筆はそこそこに、各所にメールを送り、スケジューリングメインだったけど、みなさん忙しいんだろう、レスポンス悪く、今日明日あたりにぼちぼち返ってくるんだろうな、というかんじだ。

 

さて、15分だけ、ブログ時間。

 

「好奇心」には、まあまあ自信を持っていたのだった。

私は生来それが強いし、何がなくとも自然に湧いて出て来るものと思っていた。野次馬根性も含め、すごく色んなことに興味があるし、観察するのが人生だ、くらいの勢いで。

 

けれど、昨日、原稿を書いていて、ああ今回はどうしてこんなに苦戦するのか、と思い、改めて取材メモを見て、自分の質問の浅どまり具合に気付き、小さく衝撃を受ける。相手に興味を持てていない・・・。その人の人となりが少しも浮かび上がってこないから、その人について書くのが大変なのは、当たり前のことだ。

 

今後も色々な人へのインタビューが続くが、気がつけば、どんな人にもあんまり気持ちが動かず、「なるべくしんどくなくこなせるといいな」と思う自分がいて、びっくりする。そんなんオレじゃなかっただろうよ、と。

なんだろう、このあっという間の「慣れ」は。何にでも慣れるとは思うが、これに「責任」「忙しい」が加わると、好奇心はあっというまに枯渇してしまうんだなあ、オレなんてこの程度のものなんだわ、と発見。

 

好奇心が薄い状態は、実につまらないものだ。

そういう影が見えると、自分なりのモチベーション、目標をどっかから引っ張り出して来て、自分を楽しくするということをこれまでの人生でもやってきたし、わりにそれは得意なんだとも思う。

それがどうしても見出せないときは、くるっと背を向けて、ダッシュで走り去るのみだ。

 

問題は、求められることを充たすことと、自分の満足のポイントが違うことを自覚し、「責任」を果たしつつ、自分の満足や目標も手放さないこと。

そして毎度おなじみの、「忙しくなりすぎない」ことなんだな。

本当に、書いてしまうと平たいことなんだけど、何度でもぐっと思い返さなくちゃ、と思うことだ。

そこがぶれたり、あやふやになると、がたがたっと来る。「私、何がしたくてこんなことやってるんだっけ?」っていう状態に、あっという間になる。

 

人生の幸不幸は、とらまえ方ひとつで、思い込みと言われればそれまでのことなんだけど、絶対的なものさしがない以上、やっぱり前向きに捉えられれば、その人は幸せ。なんでもポジティブシンキング、というやつではないですよ、その人なりの納得性があるかどうかということ。被害者意識は、私がいちばん嫌いなもののひとつだ。

 

自分に備わった「好奇心」に改めて敬意を持ち、大事にケアしていかねばなるまいな、と思ったことでした。