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続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「タレンタイム」

先週の仕事終わり、次の仕事が夕方からだったので、久々のシアターフォーラムへ。直前まで「わたしはダニエル・ブレイク」と、どっちにしよっかな、と悩み、シリアスしんどい・・・ってので、めずらしいマレーシア映画に足を運んでみることに。

 

どうでもいいが、先週、2日続けてお世話になったおにぎりや「おむすび権米衛」という、都内中心に展開しているフランチャイズのおにぎりやさんがありがたかったぞ。ちょっとした隙間時間に、ささっと入って、こういうまともなものを食べられるありがたさ。

おにぎりがすごく大きくって、コンビニの1.5倍くらいはある。で、プレーンの玄米おにぎりで140円くらいからだ。それに、具沢山のおいしい豚汁200円で、私なんかはもう立派な一食分というかんじ。全部契約農家さんの安心食材というのもうれしい。

 

2回とも、別に探す訳でなく、「ああ、小腹・・・」というタイミングで見回したら、目の前にあった。入ってみて「あ、昨日と同じ店」と気付く。店内は仕事中のおひとりさま女性でいっぱいだった。

 

で、「タレンタイム」。

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マレーシア映画を見たのはこれが初めて。知らないよその国の映画を観るのはとても好き。マレーシアには若い頃、旅で何度か訪れているので、懐かしさも手伝って、町の風景などに心休まった。

 

もう、亡くなってしまっているらしい、ヤスミン・アフマドという女性監督。祖母が日本人ということもあり、次作を日本で撮影しようと計画している中での急死だったらしいです。

 

やっぱり映画はすごいなあ、その国の文化や人間というものを、言葉にならないものも含めて、まるっとありのままに伝えてくれる。

映画として、ものすごくよくできているとは正直思わなかったけれど、心根の良い監督が、何かを簡単にジャッジすることなく、登場人物皆に愛情を注いで作品を織り上げているという姿勢、マレーシアという国のありようを誠実に伝えているさまがすばらしいなと思った。

 

この作品、2009年の映画で、もう8年も前の作品。それが今、日本で公開されるということの大きな意義のひとつは、マレーシアという国、同時に、この作品を貫く大きな前提が、多民族、多宗教の国家ということ。

さまざまな軋轢の中で、色んな価値観を持った人々が、それぞれまったく理解不能なくらいに違う価値観を持った他者と、どう共存していくのかということを、ティーンエイジャーの淡い恋を通して描いている。

 

中心になるのは、2つのストーリーライン。ひとつは、父親スコットランド人、母はマレー系の、比較的裕福なムスリムの家庭の3姉妹の長女ムルーと貧しい母子家庭の生まれで耳が聴こえないインド系ヒンドゥー教徒のマヘシュの恋。

もうひとつは、イケメンで性格も成績も良く、歌も上手な、けれど瀕死の母親を持つ悲しみを抱えているマレー系ハフィズと、何事もトップであることを厳しくしつけられ、でもどれをとってもかなわないハフィズに嫉妬している華僑のカーホウの友情。

 

各民族が、それぞれに強い宗教性を持ち、その戒律をベースに生きている。そういう中でやっていくのは色々と難しいだろうけれど、あまりにも違いすぎるのはかえって良い部分もあるのだなと、日本人としては見ていると思うところもある。

 

マレーシアのような、多民族国家にあっては「分からない」ということをまずは受け入れ、それぞれが分からないままに、礼儀正しくあることでトラブルを回避するということが、社会的な振る舞いの基本になってくる。それはおのずと謙虚さにもつながると思うからだ。

 

アフリカ映画を見ていると、人が人を妬む心の強さ、人を苛める心がすごく強く出て来る場面にたびたび遭遇し、驚かされる。

それは、裏返すと「みんな同じであるべきだ」という単一民族的意識によるもので、だからこそ誰かが抜けがけして良い思いをするということに対して、これほど強い反応が出てくるのだろうと感じる。

 

本来、他者は、同じ人種であろうとなかろうと、同じ宗教であろうとなかろうと、人はみな、「分からない」「違う」のが当然で、他民族国家であろうがなかろうが、おのおのが尊重されなければならないのに、中途半端に同じと思っているからこそ、「普通こうでしょう」という意識でもって、「違う」ということをねじ曲げようとしたり、土足で踏み込んだりする。

 

日本の精神性は、どちらかといえば、アフリカに近いのだ。「出る杭は打たれる」という言葉もある通り、ピアプレッシャーが強く、多くの人が「普通」であることに汲々としている社会。

そういう社会にも、そういう社会なりの利点はあって、一部の秀でた人は潰されがちだが、その分、能力の高くない大勢の普通の人々が、安楽に生きて行ける社会ということも言えたのだけど、今の日本は年功序列も崩れ、自己責任の世界になってしまった。

だからこそ年間3万人以上も生きる事を諦めてしまう国になっているんだろう。

 

そういう意味で、もちろん簡単な答えはないのだけど、この映画のマレーシアの人々の振る舞い、傷つき、悩む姿そのものの中に、今の日本人にとっての学びが多く含まれていると感じた。