続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

心を助けてくれるもの

今日も午前中はこりこりと原稿書きして、4時からもう、呑んじゃっております。

 

今日は学校があったので。「明日、授業参観て分かってる?おっちん詩の発表をするんだよ」という殺し文句で、「そりゃあもう」と笑顔で答えつつ、内心そうとうしぶしぶ学校へ。提出物もあって懇談会も立て続けに参加。

毎回えいやっとがんばるが、学校アレルギーなので、ああ、大変だ・・・。

 

帰って早速ぷしゅっと。

春、春が近づいております〜。毎年精神に不安をきたす春。最近、今日に限らず、通奏低音みたいに憂鬱だ。毎年のことだから、仕方がないと受け入れている。

 

それでも、自転車で走っていると赤や白の梅の花が咲いていたり、ふわふわした毛に守られたつぼみが膨らんでいたり、雲一つない澄み渡った青空を、赤紫色の夕焼け雲を、はっと小さく感動しながら毎日眺める。ああ、いいなと思って。

そういう風に感じられるうちは大丈夫と思っている。

 

最近の本と映画。

もうすぐ、あと半月で久々の村上さんの長編新作が発売になる。楽しみだなーと思いつつ、「1Q84」を読み返したりしている。

村上春樹イラストレーター」という本も。これも絵やインタビュー・対談を楽しみつつ、いいないいなと読んでいるのだけど、美術エディター的な方の評論がところどころ入るのがうっとおしい。

 

改めて気付いたのだけど、村上さんの研究本、山のように出ているのに、何一つ読んだ事はなく、偶然ちらっと読んでも「なんじゃこりゃ」と思う事が多く、あまり見ないようにしている。

内容がいいものであれば、普段はわりに批評も面白く読む。なるほどーという気づきを得られたりして、楽しかったりする。

だけど、映画でもそうだけど、個人的に好きすぎるものに関しては、第一次情報以外は要らないな、と思うみたいだ。

 

他の誰かに「このモチーフは実はこういう意味です」とか言われるとかちんとくるんだな。それくらい、ある種のものは個人的に自分を癒し、励ましてくれるもので、大切でパーソナルなものなんだと思う。そういうものは多くはないから、とりわけ大事にしたいなと思う。

 

村上さんは、あんなにポピュラーな、今や世界的な作家だけれど、なぜか20年前も今も、とても直接一対一で繋がっているかんじを持っているし、誰と分かち合う必要も感じない。ひとりでただ物語の世界に入り込むひとときを持てたら、ものすごく充足できる。

 

映画において、同様に感じられる作家のひとりであるグザヴィエ・ドランの新作、数日前から公開されている。明日やっとこ予定繰り合わせて見に行く。

だんなさんが「あ、俺も見たい。一緒に行くよ」と言うので「あ、そう」と席を取ったものの、内心、ひとりで行きたかったぜ・・・と思った。

そういうことからも、ドランの映画も、きっと私は好きすぎるということなんだろう。

 

初めて出会った時から、彼のヴィジョンは、胸に突き刺さる特別な風景を見せてくれる。映画は必要とされるエネルギーが生半ではないし、集団芸術であるゆえのさまざまな要素が絡み合っているので、どうしたって監督においては「一番いい時期」が限られてしまう、当然なのだけど、でもできるだけ長く、彼の描く私の好きなヴィジョンが続くといいなと思う。

 

 

浮かんだり沈んだり、右往左往の日常の中で、ひととき心を助けてくれるものは世界に溢れている。そのありがたさといったらないと思う。

 


『たかが世界の終わり』予告編