続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「この世界の片隅に」「その日東京駅五時二十五分発」

今日は祝日だというのに、祝日だからこそのボーイスカウト役員集まり。皆仕事とかあって、なかなか日が合わないから。

 

半月後に、年に一度の大イベントお餅つき。早朝から夜まで、それこそどろどろになって働く2日間。今年でやっとこお役御免だ!

去年は雨、おととしは雪。いずれも決行。しびれる行事、お餅つき・・・・。役員最後だから楽しんでやろう。

 

 

しばらく前に図書館に予約して届いた、西川美和著「その日東京駅五時二十五分発」読了。読んで驚く。あまりに「この世界の片隅に」と共通した物語だったので。

 

意図していないのに、同じテーマの映画や本や、出来事がいくつかかたまって降って来るなあ、と思うことは結構たびたびある。

同じものを見聞きしても、どこに自分が反応するかというのが、その時々によってあるから、決まったあるポイントについてキャッチしてしまうんだろうというのはもちろんあるんだけれど、

 

でも、余りの共通点。昭和二十年の広島が舞台で、小さな日常を生きている若者の、柔らかく軽やかな心持ちを描いている。何のヒロイックなことも、大仰な悲劇的なことも、シリアスなこともない。

彼らは、ぼんやりと、ふわふわとしたまま戦争に巻き込まれて行き、訳の分からぬままに損なわれて行く。その事に対して慟哭するでも、怒りを爆発させるでもなく、黙って目の前のことをじっと見つめている。そこには小さなユーモアさえある。

 

いかにも戦時中!みたいな、「永遠の0」みたいな一連の戦争映画にあるような、誇りがどうたら叫んだり、号泣したり、後先省みず突進したり、封建的な家父長制だったり、妙に堅苦しくしゃちほこばっていたり、女の人は黙ってただ従い支えるのが美しい、そういうステレオタイプな「戦時中」の世界はどこにもない。

ああいう、勇ましい灰色の雄々しい戦争映画みたいに、ひとつも押し付けないし、煽る事もない。拍子抜けするほどの軽やかさと、じっと目を見開いてものを見ている感覚だけがある。

思い込みが気持ちいいほど音を立ててがらがらと崩れて行く。

 

作品における人々の暮らしや感情は、淡々として何のドラマチックさも高揚もなく、締まりのないゆるいものだ。それは私たちの暮らしの同一線上にあるフラットな気持ちとつながっていて、とても身近な感情だ。

だからこそ、ものすごく悲しい。どうしてこのささやかな平和が、身近な人々が失われなければならなかったのか、戦争というもののあまりの馬鹿馬鹿しさにめまいがするほどだ。

 

今の時世だからこそ、このような作品がものすごく値打ちがあると思う。

「静かでささやかで、なんということもない平凡な日々が、ぼんやりしているうちに段々と失われて行く。気がついた時には、ばかげた暴力が大手を振って横行している。」という現象は、今私たちがいる世界とパラレルであり、今の日本は、そして世界は、まさに同じプロセスをなぞっていると思うからだ。

小さな平和を奪われてはならないといけないということを、作品を通して改めて身に沁みて思う。

 

この世界の片隅に」の主題歌はコトリンゴという歌手の、優しい歌声。この歌のように、

かなーしくーてー かなしくて とてーも やーりーきれーないー

という気持ち。

 

映画、あまちゃんがヒロインの声を演っているのだけど、本当に特別な素晴らしい声。胸が締め付けられるような声だった。

西川さんの本は、あまりの文才に気持ちが落ち込むほどだった。

映画は近々子供らにも見せるつもり。大事な本物の反戦映画と思う。

 


映画『この世界の片隅に』予告編

 

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