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続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

日曜礼拝

今日は、日曜礼拝に行って来た。

と言っても、仕事です。

牧師ってどんな仕事で、どうやったらなれるかといったことを取材するため。

いいお話を惜しみなく、たくさん聞かせていただいた。

 

年を取れば取るほどに、世の中の色んな矛盾や事情というものと、

一神教というものの齟齬に対してはううむと思うところがあり、

自分自身はキリスト教に帰依することは多分ないだろうなと思っている。

けれど、日曜日の朝、木漏れ日の射す小さな教会で、しんとした気持ちで祈り、黙って自分と向き合う時間を持つということは、自分にとって、多くの人にとって、必要な時間なんじゃないだろうかと思った。

説教の内容うんぬんでなくって(牧師先生ごめんなさい)、あの場に、ああして集う静な時間には、沁み入るように心安らぐ感覚があった。

自分自身が思っているよりも、自分の日常は、せわしなく落ち着きのないものなのだろうと知らされた。

 

京都の市内に住む友だちが、時々自宅から歩いて行ける近所のお寺に、早朝、お掃除の奉仕と、お坊さんの説教を聞きに行ってから会社に行くのが生まれ変わるように素晴らしい時間だと言っていたけど、何か分かる。

彼女は忙しく世知辛い社会で働くビジネスウーマンだから、私なんかよりもっと切実にあのしんとした時間の豊かさを感じているのだろうなと思う。

 

今日は、牧師夫妻に色んな話を伺ったけれど、当然ながら、これまで会った色んな職業の人たちとは幾分違った価値観の中で生きておられるから、いかにも世俗な、定型的ないつもの質問があまりにそぐわず、結果禅問答のようなやりとりになるというのが、内心面白くて仕方なかった。むしろこのちぐはぐさをそのまま伝えることが一番伝えることになるのでは、と感じた。

 

色々と違う点はあれど、一番違うのは、彼らが徹底して受け身だったことだ。

自分の欲望や、夢や目標、といった自分発信のものをありがたがるというところが彼らにはあまりなくって、

神さまがあっての牧師ですから、神さまにやれと言われたらやりますし、やれといわれなければ別にやりませんし、と笑う。

小さな教会を20年間やってきて、色んな人がやってきては去って行って、子どもたちはだんだん育ってやがて巣立って、たまに帰って来たりもしてくれて、ああ大きくなったなと思ったり、そういうことが喜びです、と奥さんは言っていた。

ただ同じ所にいて、定点となって、温かい居場所として存在しつづけることは究極の受け身だけれど、なんて地味でなんてすばらしいことだろうと思う。

上昇志向とか自己実現とか、勝ち組とか合理的とか、そういう類いの思想に全く、本当に全く価値を見出していない人たちだった。そういうがつがつした考え方が、なんだかみっともなく思えた。

 

 

と、いう話を、夕方、新しいウェットを買ってご機嫌で波乗りから帰って来ただんなさんに、お茶飲みつつ話していたら、

牧師さんのいいお話に感銘を受けつつも、だんなさんは両親がクリスチャンだったから、自分が一人立ちする段になって、その清らかで矛盾のない世界から、いきなり生々しい世の中に放り出された時の戸惑いたるやものすごかった、そして今でもどこか生き難い。

だから、自分の子どもたちには、まずは家庭から、矛盾もだめさもあえて隠さず見せているつもりだし、牧師さんの子供って大変だろうなーとも思う。と言っていた。

 

なるほどなー。私も、実は自分の母親に何を感謝してるかって、彼女が正しさを振りかざさず、わがままで変わった考え方を隠さないおばはんだったことだと思っている。

 

例えば、小学校の時、被差別部落の問題を学ぶ「同和」という授業があったのだけど、帰宅して「こんなんやったよ」と報告すると、「そやそや、差別はいかんのや」と、もっともらしく言っていたのに、「私も将来、朝鮮の人と結婚するってこともあるわけやし」と言うと、「あかんっ!そんなん絶対あかん!」といきなり激しくのたまい、子供心に「おいおい、それはあかんやろ」とさすがに思ったものだった。

そんなだめだめなおばさんも、30年後の今では、しっかり韓流ドラマに夢中になり、今やそんなこだわりは忘れ果てているみたいで、その浅はかさもまた人間ぽい。

 

そういう問題発言には事欠かない母で、ずっと恥ずかしく思っていたけれど、自分が出会った友だちのなかには、母親のあまりの正しさに苦しんだという人が少なからずいて、そういうもんかとも思った。

 

また、私の父は母とは逆に、自分のごりおしと正義を容易に混同する人だった。その上に、短気で機嫌がいい時は猫なで声、悪い時には手足が出るという人だった。仕事ばかりで不在がちな父だったけど、結構な悪影響があったので、結婚するまでは色々しんどかった。

 

だから私も、ひとつだけ自分に課しているのは、子どもたちに何かを強いる、言う事を聞かせるような時には、それが「正しいことだからそうしなさい」とは言わないようにしよう、ということだ。相手が弱くて柔らかい子供だから、絶対的な価値観へのすり替えだけはしたらいかん、と思っている。

 

まあ、そんな訳で、夫婦全然違う道を通って来たが、我が家の親の姿勢としては、一本筋が通っていれば、後は偏っていても、変わっていても、矛盾していても、だらしなくっても、むしろいいんでないかい。そして正義と言う言葉はろくなものではない。

あとは大好きだってことだけ伝えておればよし。という点においては矛盾なく一致している。巡り巡って別ルートで、あくまで結果的に。

 

 今日は色んな生き方があるなあとまた勉強になった。

とにかく、今の資本主義の極まった世の中の考え方みたいなものには自分は絶望的にうんざりしているのだなあと思う。

でも、そんな世の中にあっても、心の持ちようひとつでこんなに穏やかに優しい雰囲気で生きている若い夫婦がいるのだなあと、励まされるような思いだった。

ひねくれっ子の私だが、見習いたいなと素直に思った。