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続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

お寝坊の土曜日

実は先週、息子の中学校に「爆破予告」がされたので、

その日の朝は自宅待機になり、この週末も学校を閉鎖する事になったのだった。

 

結局愉快犯で事もなく、その日の午後から普通に登校したのだけど、

近所の小学生の子供をもつ関西人ママから、朝、

「ほんまなん?なあほんまなん?」という調子でメールが来て、

どうもそうみたいよーー

と返すと、

「マジかっっっっ!?そんなんてあるんやっっ!?」って

嬉しそう〜なメールが返って来て、思わず画面を見て声を出して笑ってしまった。

わくわく感が伝わるなあ。

 

そんな訳で、週末の部活が飛んだので、今日はもんのすごーーく久しぶりに、

目覚ましが鳴らない、お寝坊のできる朝だった。

10時くらいにゆっくりブランチを取り、

洗濯掃除をし、昨日の深夜に書き上げた原稿を、

朝しゃんとした頭でもう一度だけチェックをし、編集さんに納品した。

ああーすーっきり!ひとときのすっきり感ではあれど、すっきりには違いない。

 

今日は午前中はのんびり、午後は鎌倉のお父さんが体調を崩しているというので、

様子伺いに行く予定。

 

昨日はデイサービス。

この11月から、作ったらすぐに帰らせてもらうように、勤務体系を変えてもらった。次の方が見つかるまで、このやり方でなら手伝えると思ったので。

金曜は子どもたちがオケでいないので、おかげで午後から夜まで集中して仕事ができる。仕事のある日はヨガは行かない。

 

ふつう、雇う、雇われるという関係性になると、雇う側が偉そうにすることがほとんどだし、偉そうでなくとも、コマのひとつとしてドライに捉えていることがまあほとんどだ。

だからこそ、自分なりの納得ポイントをきちんと持って、心の中ではあくまでフェアでありたいと思ってやっているけれど、

ここのデイサービスに限っては、雇う側の「手伝っていただいている」というへりくだり感がものすごい。

時々、「いつも私たちを見捨てないでいてくれてありがとう!」とか言われたりする・・・。さすがクリスチャンというか、一般社会ではあまり聞かないワードだな。

 

なので、時間とかに関しては、希望出せばまあそのまま通る。むしろ、ほんとに申し訳なさそうに謝られる。もちろん、仕事上で言うべき事はきちんと言うというのは、クオリティーを保つ上で当然ある。

 

自分はクリスチャンではないし、クリスチャンになる可能性もないんだけど、ここの人たちは今の世の世知辛い、短期資本主義的な損得勘定を評価軸に生きていないから、やっぱり一緒にいて気持ちのいい人が多い。

 

何より、ここの人たちの「善くあろう」ということを日々心がけながら生きているという部分が好きだ。

そういうことを、普段から心に留めているかいないかで、随分年のとり方って違って来ると思うのだ。

 

個人的な印象だけれど、ご近所さんや職場の中年以降のクリスチャンの女性って、きれいだなあと感じる方が多い。顔の作りの美醜でなく、こう、女性特有の怖さが全面に出てない佇まいなのだ。

自分より年上の方なのに「うわ、かわいいなあー」と思ったり、何か凛とした清潔なものがその人を支えているのが見える。

そういう人たちを見ていると、宗教心ってだいじなんだろうな、と思うのだけど、自分はひねくれっこだから、宗教もスピリチュアルも、なかなかこう、自分を委ねられるというかんじにはなれない。でも、デイサービスのクリスチャンのみなさんのことは、本当に好き。

 

この、私のちいさな良心を担保してくれているような、あたたかな居場所を果たして手放してしまっていいのかな?とも思うのだけど。3年、やるだけのことはやったというやりきり感はあるので、だんなさんとの兼ね合いも含め、これからの人生のプランニング次第で行こう、流れに身を任そう、と思っている。

 

結局、どこにいても心底コミットはできないのだ。エゴにまみれ、じたばたと生きることにほとほと疲れるまでは、自分は多分こういうかんじなのだろう。