続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

カメイノ食堂

雨雲はすっかり去って、今日はいいお天気になりそう。

だんなさんがいなくなって3日も経つと、もう相当気を抜いていて、

部屋が全体にうす汚れ気味、更に洗濯物が山のよう。

つくづく、我が家のまっとうな「暮らし」感を担保しているのはだんなさんの存在なのだなあと思う。いつも母子になるとすぐにキャンプ生活みたいなかんじになっていく。

 

昼から仕事なので、その前に冬の布団を干し、洗濯物を干し、各部屋の窓を開けて風を通し、軽く掃除機をかけ、軽く拭き掃除をしよう。

 

昨日は久々の友人Mさんとランチ。何だか体に良いものが食べたくて、カメイノ食堂のマクロビランチ。このお店、忘れられたような団地のシャッター商店街の片隅にぽつんとあって、なんだかほっとする。店内に店員さんのデザインした絵とか、手づくりモビールとか、好きな映画の切り抜きとか雑貨とかがみっしりと飾られている。隅々まで偏愛に満ちているというかんじ。

 

トイレが面白くて、いつも2度は遊びに行く。

便座によいしょと座ったら、カサヴェテス映画の「グロリア」のヒロインのジーナ・ローランズがめっちゃ怖いカメラ目線でピストルをかまえ、私のこめかみの辺りを狙っている、笑。ぐるりと見渡すと、ぎっしりとコラージュされた切り抜きやイラストやアドカードや、壁一面に埋め尽くされた「好ましいものたち」。

薄暗いなか、壁に顔を近づけて店員さん手書きのシュールな4コマ漫画を読む。適当な切り抜きのようなんだけど、ひとつひとつが、結構ちゃんと彼らの審美眼にかなった愛着のあるものなんだと分かるので見ていて楽しい濃ゆさがある。

 

私はそうじが嫌いなので、もうモノがいっぱいの人生はやめてすっきり暮らすことにした。だからあまりモノは飾らないし、我が家の空間はどちらかというとがらんとしているが、ここにはモノがひしめき合ってて、でも不思議とうるさくない。

しゃらくさいおしゃれ感を演出したいのではなく、好きなものに囲まれていたい内向的な愛ゆえで、一つ一つのモノに心が行き届いているからだと思う。心地良い穴ぐらみたいで、こういうのもいいなあ〜と思う。

 

Mさんという人は、人生に過大な期待を寄せていない、非常にクールでビューティーな人で、私の友人の中では最も低体温な人だけれど、相当律儀で優しい人だと思っている。

いつもすごいなと思うのは、自分を含め、誰しも自分の育って来た環境の呪縛からは良くも悪くも逃れえないものだけれど、彼女自身はかなりいびつな家庭に育ちながらも、ものすごい冷徹な客観性でもって、それらの呪縛をかなりの割合で断ち切って、おだやかな家庭を築いているところだ。

自己合理化ということをしないから、誰しもある、「見たくないものを見ないための歪み」みたいなものが少なくって、「あるものはあるんだからしょうがないじゃん」「人生なんて基本楽しいものではないのだから」とクールに受け止めている。

 

彼女は自分のやりたいようにしかやらないんだけど、だからこそだんなさんや子どもを尊重して強いることがない。妻やお母さんってすごい独裁者にもなり得るから、気がつけば自分も「おっとと、いかんいかん」となっていることしょっちゅう。だからすごいなって思う。

かといって家族てんでばらばらという訳でもなく、休日は結構いつも家族単位で仲良く動いている。

時たま会って話し合うひとつひとつのエピソードはお互いにささやかなものだけれど、彼女はなかなかどうしてすごい人だなあと内心思っている。というか、少ない中でもお付き合いしてもらっているお友達は自分にとってはぞれぞれすごい人ばかりのように思っている。

 

さて、30分経ったので(最近時間で書くのを区切ることにしている)これにて。

 

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珍しく写真撮ってみた