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続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

それを良しとするかどうかなのだ

今日から10月。

夜が寒くて冷えたのか、今朝は鼻水が出てしょうがない。

 

今朝のお弁当は、帆立のバターしょうゆ炒め、昨夜の翡翠餃子の種の残りをつくねにして塩焼きしたもの、かぼちゃ煮、きゅうりの明太子マヨソースがけ、昨日の残りのきのこの炊き込みごはん。年中無休の弁当作り。

 

息子は今日も部活やだーと愚痴りながら出て行った。というか、3日に2日の勢いで、クラリネットを持って行くのを忘れる。今日なんて、授業なくって部活に行くってのに、やはりクラリネットを忘れた、ああもう遅刻だ、とどんよりして取りに帰って来た。思わず笑ってしまったけど、もはやだらしないでは済まされない域で、相当やなんだろうなと気の毒に思うばかり。

 

辞めればー?としか言わない母。辞めるって言いにくいからとずるずると続けている息子。でもそろそろ限界だと思うよ。

 

金曜日と日曜日は毎週行かれないということを顧問の先生にも承知してもらった上で入部した筈なのだけど、毎回パートリーダーの先輩に「今日休みます」と言いに行くのを続けなければいけないらしい。

分かりきっていることを毎度毎度申告しなければいけない理由は、誰もそうだとは言わないだろうが、負い目を感じさせたいという心理ゆえかと思ったりする。半年以上、誰もそんな無駄なことをいちいちしなくっていいよ、とは言い出さないということの意味を思う。

 

まあそんなことを含めた色んなことの積み重ねで、息子は今ではなんだか負い目を感じながら部活をやっているっぽい。だけど休んでいる日もやることがあって休んでいるので、本当はみんなと同様に忙しい。

 

昨日はオケのレッスンの合間を縫うようにしてやっと髪を切りに行ったし、週末も含め、夕方7時までは帰って来られないから、学用品のノートを買いに行く時間もない。

7時に帰ってきて、ご飯食べて風呂に入ってちょっとほっこりしたら9時とかすぐだ。なにしろ、土日祝日もなく、延々とこのスケジュールが続くのだ。

「本当に疲れる。本を読むひまもない」。とこぼすゆうた。

 

確かに最近本を読んでいない。部屋も汚い。身の回りを片付けることも、自分の洗濯物を畳むこともおざなりになってしまっている。

自分のことを自分でやれる人になってほしいと思って子育てしているのに、身の回りのことをお膳立てしてやらないと回らないような生活をむしろ学校から強いられるというのは、一体何なんだろう。

 

「暮らし」の部分にちゃんと向き合えないようなタイムスケジュールになっている。効率よくやればやれないことはない、できる筈と言う人はいるだろう。でも、ちょっと考え事や空想をするような暮らしの隙間というか、余白がない状態で、ちゃんと粗相なくこなそうと思うと、自動操縦モードに入れないと難しい。

 

13歳の子どもが自動操縦モードで生きるなんて、もったいないことこの上ない。心が柔らかいこの時期に、色んな人や、自然や、物事や、芸術などに触れて、感性を生き生きさせることがどんなにか生きていく上での底力になるだろうと思うので。でも、周囲の人にそういう話をしても全然ぴんと来ないって感じの反応をされることが多いので、黙っている。

そんな話も幼稚園の時は共有しあえたのに、中学生になると急にもう必要ないってあっさり切り捨てるみたいにして、勉強関係に集中する人が多いのにはびっくりする。無駄もしくは二の次と思ってるんだなあ・・・と言葉の端々から感じる。

 

成人したお子さんを持つ先輩ママさんの話を聞いていても、今の子は忙しくなっていく一方なんだなと思う。高校生になっても、大学や専門学生になっても、社会人になっても、どんどん加速して行く。大学は学科によりけりのようだけれど。

自分なりの心地良いペース感でドライブすることは、なかなかに工夫と能力を要することで、不器用で生真面目な人は引きこもりやドロップアウトや病気でもしない限り、降りることができない、という勢いだ。

13歳の今よりも、この先がのんびりする見込みはどうやら薄いらしい。

 

まあ、もちろんどんなに忙しくたって本人さえ楽しくやってればああ良かったね、何とかなるよ、という話。つまりは楽しくなさそうなのが見ていてほんとにやだ。純粋に、疲れて余裕がなくなっている。

 

そもそも音楽が、楽器を吹くのがこんなに好きなのに、どうしてこんなに嫌になることができるんだろう?と逆に不思議で仕方ない。

拘束時間は長いが、だらだらしていてほぼ指導もないし、かといって自由はなく、自分なりに工夫して練習すると怒られ、午前中は音階だけを、午後はこの曲だけ(しかも1ヶ月に1曲のペース)を延々弾いていろということのようなので、まあ音楽好きだからこそモチベーションが上がらないのは当然だよと話を聞いていて思う。

素朴に意味が分からない、この内容ならどうしてここまで休みなく長時間活動する必要があるんだろう?部活って何を目指しているのかな?とだんなさんに聞くと、

 

「デイサービスと一緒で、とにかくひとところに集め、何かをさせておくということ自体が目的という部分はあると思うよ」と言われ、なるほどと思う。それが必要なケースもあるんだろう。でもやりたいことがはっきりある人にとっては必要ないだろうなあ、それ。

 

もちろんどうするかは本人に任せるが、内心これ以上は時間の無駄だから、部活は早いところ辞めて音楽はオーケストラで楽しくやり、本人はスポーツがやりたいそうなので、「学校外で」やりたくてやれていないスポーツをすれば良かろうと思っている。

 

世の中も大分考えが変わり、周囲にもほどほどで楽しくクラブ活動できている学校はたくさんあるようだけれど、たまたま今の中学ではどうやら体育会系部活に移ってもどこもブラック部活のよう。こればっかりは学校によって当たり外れがあるんだと割り切るしかないのかな。

 

つまりは息子自身が「自分がどんな中学生活を送りたいか」ということを自分なりに、自分の頭で考えて決め、更には「集団の同調圧力にどう対応していくか」という話。

つくづく中学校も日本社会の縮図だ。ここで「そういうもんだ」として心を無にして巻かれる習慣を身につけてしまうことは簡単だし、そうすれば誰にも何にも何にも言われないで済む。それでそれなりに、その中になんとか楽しみを見つけ、3年過ごすことも出来るだろう。

 

私は中学の時、そうやってのらりくらりと学校も部活も続けていた。ひどいいじめにさえ遭っていたというのに、今になって思うとしょうもなかったなあと残念に思うが、誰も「やめていい自由」「行かなくていい自由」があるよとは教えてくれなかった。その選択肢に気づかなかったのは自分の未熟さだからしょうがないし、もう過ぎたことだから、遠回りもまた学びだったと割り切るしかない。

 

だけど、だからこそ、子どもたちには「自分の好きなように生きる自由があるよ」ということは伝えて行きたい。

 

そのうえで、彼らがそれを良しとするかどうかなのだ。