続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

人間万事塞翁が馬

キッチンでお弁当を作っている私に、起き抜けの娘が階段の上から、

「今日!どうだった!?」と声をかけた。

「ざーんねーんでーしたー。普通に学校あるよー」

 

天候次第では休校になるので、朝学校から一斉メールが届く事になっていて、

娘はもしや休める!?と期待していたけれど、

台風ということのほどもなく、あっさりと雨雲は去った模様。

でもまだどんよりしていて、「台風一過」という感じがしない。

 

それでも嫌々どころか、律儀にいつも通り、誰よりも早く学校へ風のように行ってしまうのがおっちんらしい。

息子はこのところいつもぎりぎりまで粘る。ぎりぎりすぎて遅刻してないかと心配になるくらい。まあ面白くないのは私もそうだったから分かるけどね。

中学校は、というか、中学以降の大人の世界は、工夫して自分で自分を楽しくしていくしかないのだよ、と思う。

 

まあ私も実はさほど心配なんてせず、「行ってきまーす」と出て行ったらすぐ、

「よし!今日も学校へ行った!さて自分の時間!」となっている。

 

 

昨日、久々の友だちに会っていて、なかなかに深刻なミッドエイジクライシスの最中にあるようだった。ちょっと心配になるくらい。でも、彼女は気を張っていて、「大丈夫?」などとは言いにくい雰囲気で、そのまま事も無く別れたのだけど。

 

人間万事塞翁が馬とはよく言ったもの。

人には皆必ずいい時とそうでない時が訪れる。ある出来事には必ず良い面と悪い面がある。いいことだけのいいこととか、悪いことだけの悪いことって本質的にはないんだろう。

もちろん、頭では分かっていても、その度に右往左往するんだけれど。

 

人生観というのは、ほんとに人それぞれだ。

そして人生は公平にはなりえないので、自分の身に降り掛かって来た理不尽に対してどう受け止めるのか、という部分がその人生観の肝になるような気がする。

 

40代というのは、否応なく衰え始める頃。

若さの美しさと健康、どこへでも好きな時に好きなところへ行ける身軽さ、自分のやりたいことにトライ出来る自由、色んなことが「ままならなくなる」年齢だとも言える。

 

昨日の彼女は、飛び抜けて頭も良く、ステイタスのある仕事をし、それで表彰までされもし、気の染まぬ結婚を解消して初恋の人と結婚し、可愛い聞き分けの良い子どもを持ち、趣味も良く人生の楽しみ方を知っている。常に「できる人」と周囲の誰もが認めているような彼女の人生だ。そんな私にしたら全部手に入れたような人が、「もっとこうしておけば良かった」としょんぼりしている。

 

人生は、得ても得ても、それで完成ということはないんだろう。むしろ、能力が高いだけに、がんばればどこまでも得られて来てしまったからという、世の中にはそういう不幸もあるのだなあ、と小物な自分には分からぬ苦労を感じた。

 

納得のいかない事や理不尽なことは、やらなければいいのだし、そうならないように改善したり、あるいは断ち切ればよし。

私にはそのようにする権利があるし、そのような理不尽な目に遭う言われはない。

 

確かにそうなのかも知れぬが、そういう風な解決方法は、

残念ながら生涯的に通用するものではない。自戒を込めて、そう思う。

皆、理不尽と共に生きているのだし、回り回ってそれに生かされているのだし、ということを、先週幾度も感じていたところだったから、考えさせられたことだった。

 

自分も出産するまで本当に好き放題、自由気ままな人生だったから、能力さえ高ければ全然彼女みたくやってたと思う。

どうやってもだめな自分に向き合って、じゃあハッピーに生きるためにはこう考えてこうやっていこうじゃないか、と多少なりとも方向修正していっただけだ。

全然偉そうにどうこう言えるような自分じゃない。

お互い頑張ろうね、次会う時はノリノリかも分からないし、長い付き合いの中では色んな時があるものさ、と思う。

 

 

 

先週、だんなさんが取材した長野のおばちゃんの話。

おばちゃんは、だんなさんのお母さんをつきっきりで介護し、看取った。

そのおばあちゃんは毎日お風呂で大便をもらす上に、それを踏んづけるので、タイルの目地に食い込んで掃除が大変でね、とおばちゃん。

 

でもある時おばあちゃんの言動から、

そのよぼよぼのおばあちゃんはむしろお嫁さんを守る気満々で、迷惑かけたくなくって、なんとかうんちも自力で始末しようとして、踏みつけて(却って拡げちゃってる訳だけど)いたのだという事を知って、ああ、頑張れるって思ったと。

 

そして自分の母親の介護を妻に任せっきりにしている夫から、

「やってあげてるという驕った気持ちがあるから良くないんだ」と言われ、

言われ(怒!)、ああそうだと思って向き合い方を変えたら、

以前より上手く行くようになったと、

「だんなさんにはいい人生の勉強させてもらってます」

と言っていたそう。

 

自分のデイサービスでの利用者さんの親子関係を見ていても思うけれど、

「自分にとって一見迷惑な言動」の意味を冷静に考えるのが、その事をキャッチできるのがどれだけすごいことか。

そして精一杯やってる自分を批判され、それを素直に受け入れることがどれだけ難しいことか。

芸能人の言動とかで簡単に使われるけど、そんな容易いことではなくって、

真の「神対応」とは、例えばこの無名で田舎で地味に暮らすおばちゃんのことだ。

 

 

いや〜〜でも、人間できてないと言われようと、だんなの話の下りは「おめーが言うなよ!」としか思えないっす、今の自分では・・・。

でも、そんな自分にも、この先何かしらの試練があり、また方向転換を迫られる、そういうことの積み重ねなのかもしれぬ。

 

だから寂聴先生も「友だちは苦労してる人を選びなさい」って言ってたのかなと思う。

私には苦労人の素敵な友だちがいるけれど、私自身はまだまだ苦労知らず過ぎる。