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続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

Beautiful boy

thought

冷えたスーパーのお寿司をもぐもぐと食べながら、

『今日、数ヶ月ぶりにコースケに会ったよ。学校の相談室で。」

と息子が言った。

その子は小学校から一緒だった子なのだけど、中学入学直後から不登校になっていて、保健室や相談室に来ているらしいという噂は聞いたことがあったものの、教室には全く来ることがなかった。

 

息子はその子とは小学校から取り立てて親しくはなく、私も気になって時折様子を尋ねてはいたものの、それだけだった。その子のお母さんにメールしようかなと思いあぐねている内に夏休みも終わり、2学期なっても来ないよ、と聞いて、そうか、難しいだろうなと思っていた。

 

しばらく前、休み時間に相談室の先生が来て、「コースケが課題で自分のことを書きたいから色々教えてほしいと言われたんだ」と言っていて、そうか、友だちと思ってくれているんだね、という話をしていた。

 

で、昨日多分上手いこと相談員の先生に促されたのだろうけど、(本人は分かってなかったけど)相談室でコースケと久々に会って、明日昼休みに一緒に将棋をやろうって約束したんだ、と言っていた。

 

息子は小さい時からいつもそうで、特に人気者でもカリスマ性がある人でもなく、一歩後ろに下がってるような人なのだけど、転校生とかうまくやれない子には必ずと言っていいほど頼りにされるのだった。

 

本人としては自然にしているだけで別段ケアしているつもりもなく、みんな一緒の延長線上のよう。だから別に家でも取りたてて話に出る事もない。何かしてあげてるつもりがそもそもないんだと思う。

 

でも、懇談会や授業参観の時に、そういった子たちのお母さんに呼び止められて、時には涙ぐむようにして「本当にゆうたくんがいてくれて優しくしてもらって、どんなに助かってるか」「いつも優しくしてくれてありがとう」と熱く言われたことが一度や二度のことではない。

 

子供の集団は、異質なものやはぐれ者に対しては残酷なものだから、転校などで出来上がった集団にひとりで入って行く事や、何かうまいこと集団に溶け込めないような事があった時、相当厳しいものがあると思う。ピアプレッシャーの強い日本では、不安と恐怖が強いから集団におけるサバイバルが切実。

 

そういう中で、人をジャッジしたり、計算したり、誰にどう見られるかを考えることなく、どこまでもただのほほーんとしているゆうたが目に浮かぶ。

普通の子だけど、全く人に威圧感を与えず、もらった好意にはまんま好意をただ返すし、意地悪やネガティブなものを人から受けても、やり返したり、無理にポジティブに考えたりすることもなく、困ったような顔をしてただそこで終わらせている。

それで苛められたり損したりもしてきたけど、本当に誇らしい。

 

変な言い方だけれど、コースケも、今までのそういう子たちも、多分ゆうたが別段好きな訳でもないんだろう。ただ、「ゆうたは自分を傷つけない」という部分に関しては、心から安心しているんだろう。

 

すごいねえ、ゆうた。お母さんはこんなに人が怖いのに。お母さんはしょっちゅう不安で不安定にもなるし、腹を立てたりもするのに。

ゆうたの人としての品の良さみたいなものに、小さな日常の中で幾度も感動している。

 

勉強くらいだめでも全然いいや。

人をほっとさせる存在であることが、回り回って彼を生かしていくんだと思っている。

その得難く美しい資質は、彼が生きて行く上での最大の宝になるような気がする。

 

「将棋かー良かったじゃん、付き合ってくれる人やっと見つかって」

と私は言い、「そうだね。楽しみ」とゆうたは言った。