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続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

お悩み相談

外に出たらミストのような霧雨で、ほーっとため息が出る程気持ちが良かった。

薄曇りのなか、中学校へ自転車を漕ぎ、息子の吹奏楽の演奏&父兄懇談会へ1時間程さくっと行って来たところ。

 

あんな女子ばっかりのなかで良くやっとるよ、君は。ほんとに音楽が好きなんだよねー。と思いつつ、演奏を聴いた。こういう場なのでリラックスして、なかなかいい演奏だった。

 

しかし学校という場所には相変わらずアレルギーで、行かねばならぬとなると体が硬くなるような感じがする。ここまで来るとほんとに不便だわ、と思うけれど、体が学生時代の頃の記憶を忘れられなく、良くも悪くも強く刻んでいることが私の子どもたちとの向き合い方のベースになっているような気はする。

 

 

こないだ妹から電話がかかってきて、時々なんかの拍子で長電話、独白モードな会話になるのだけど、またそうなった。ちょうどヨガのクラスを控えていたんだけれど、これは聞かないとな、と思いヨガは飛ばして暗くなるまでじっくり話を聞いた。

 

妹いわく、姪が「やらねばならぬこと」にがんじがらめになっており、どうにも融通が利かないんだ、それも自分の子育ての結果なのだとは思うけれど、という話だった。

 

超がつくほどの進学校に進んだ姪っ子。さらに吹奏楽部に入っており、まるまるの夏休みは実質1週間だったそう。学校は普段から土曜日もあって、日曜しかお休みもないのに、英語が難しいからと英語塾にも行っている。

 

聞くと、私学の部活だから相当適当なノリで、べつに休みにくい訳ではないし、それも好きでやりたいからやっているのではなくって、「嫌だ」し「どうでもいい」と言うものの、友だちに誘われても、他の楽しい予定も全部「行かなあかんから」という理由で断ってしまうのだと言う。学校もしかり、どうしても一日も休めない。

 

妹の言い分としては、どれもこれも本人の目的意識から出たもので、自分は強制はしていないということで、実際「受験なんかせんでもええやんー」「ちょっとくらい休めばええやんー」ということを度々言っていたのは知っている。

けれども、今まで知らなかったのだけど、妹は姪が小学4年の夏休みから、エクセルで行動予定表を作って、「明日は何があるよ、これとこれを準備せなあかんよ」「この日は空いてるからプールへ行き」などと、まあ平たく言えば細かにスケジュール管理をしていたと。

 

それずっとやってきたら、そりゃ「やらなあかんこと」で全部生活が埋め尽くされてしまうだろう。姪っ子にしたら、そりゃそれをすることが人生って思うだろう。

 

妹は田舎暮らしで地域が狭く、だんなさんが亭主関白タイプということもあって「母親としての務めをきちんと果たさなくては」と多分に思っているところもあるように思う。そして姪っ子が恥をかいたり、怒られたりしないように、泣くような目に遭わないで済むように、と。

 

そういえば、中一の息子の同級生のママにもこないだ会った時に夏休みの宿題のことを訊かれ、何故か違う中学なのに息子の中学の宿題のことを私よりもよく知っており、「やっぱり男の子はお母さんがサポートしてあげないといけないと思うよ」と諭されまでしたということがあったなあ。

 

しかし。そういう風に全部お膳立てをしてあげることを続けていて、子どもが大人になったら急に自己管理できるようになるとは私はとても思えないんだよなあ。

子どもの今が失敗できるチャンスなのであり、失敗してやばいー!って思って、恥もかいて、それで危機感も持つし、工夫もするでしょう。

その学びのチャンスを親が奪ってしまい、言われたことをやった?ということをしじゅう強迫されていたら、とりあえず言われたことをやれば怒られないし、やらなければ怒られるんだということだけが刷り込まれて行くのは当然だと思う。

 

そういう中では子どもは「自分が望む事、やりたいこと」が自分で分からなくなっていくだろうし、苦痛であろうがつまらなかろうが、自分に課せられたことをなかなか放棄したりサボタージュしたり出来にくくなるだろう。

そして偏見ではなく経験則として「全パワーが向かいがちになるので一人っ子は要注意」とも思う。姪も一人っ子。

 

しかし、この方針が吉と出るか凶と出るかは分からぬが、自分はやはり子どもには自分でサバイブできる人になるということを念頭にこれからも子育てしていこうと思ったことだった。

バイバルの基本3要件は、「どこでも寝られる、何でも食べられる、誰とも友だちになれる」なのだそうで、このことはいつも忘れないでいたい。

 

妹の例はまあ極端だけれど、世の「ちゃんとしたお母さん」がどれだけ妹と同じように「ケアすることイコール愛情」と思っているだろうか、とちょっと考えてしまった。

 

仕事で企業の若い人なんかと話すと、皆物腰が柔らかくって、丁寧で、見た目も清潔感あって、色々ソツないんだけど、ぐっとお腹に力の入っていない、どこかふわふわとしたたたずまいで「なにか人としてひよわなかんじだな」という人が珍しくない。

そういう人ってあんまりごつごつぶつからず、細やかにケアされて愛されてきた人なのかもしれないなーなんてふと思った。

 

そういう「ひよわでかたくなな人たち」って、対立したり、ぶつかったりすることをものすごく嫌う。解決よりも「この場を丸く収める」「荒立てない」ということが優先する。お店などでこの手の人に少しでもイレギュラーなことを頼んだり話したりすると、大抵は残念なことになる。「あーまたこのかんじね」という。

 

 

とはいえ、子どもは「自然」なので、大人の都合にはまらず、みずから身をよじって飛び出して行く。

その点、もっと年上の子どもを持つ先輩お母さんはそこら辺、バトルした上で達観していて、話を聞いていて面白いし、ほっとする。

「結局、自分で決めさせなきゃだめ!あんた自身の人生で、あんたの責任なんだって思わなかったら全部右から左よ」なんて。

 

だから相当なことで無い限りは、大体なるようになっちゃうんだろうな、と思う。自分もでこぼこ母だけど、だからまあ結果オーライか〜とも呑気に思っている。