続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「ヤング・アダルト・ニューヨーク」

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で、見に行った「ヤングアダルトニューヨーク」(原題はWhile we're young)。今年のベストムービーのひとつになりそう。

これだけ豪華なキャストで、映画としてもこんなに良く出来ているのに、上映館が少なすぎる。シネコン時代になってからというもの、地方在住ではどこでもやってる大規模展開の作品以外の作品を見るのにほんと苦労する。

というか、この作品、日本で公開するかどうかさえ危うかったというのだからそれ以前の問題か。

この作品が首都圏では銀座一館、川崎で一館のみ(しかもレイトショーのみ)だなんて、なんか間違ってると思う。

シャンテやシネスイッチの前を通ると、「ほーこんなのもやっているのか。観たいなあ」と思う作品がいくつもあった。近所のシネコンではせっかく上映環境はいいのに、ほとんど観たいものがかからない。夏休みはポケモンやワンピースやディズニーのせいで余計にそうなっちゃう。

 

しかし「多様性はいかにして回復されるか」ということを何につけても思うことが多い。効率化が極まりすぎていて、どれだけ儲かるかだけで、節操もないし精神的な豊かさもないということをつくづく貧しいなあと思う。

ほどほどにサスティナブル、ということが成り立たないくらいに、各分野で「一人勝ち対隙間を埋めるその他大勢」という図式になっていることが問題なんだろうなとは思うけれど。

 

そうは言っても、Amazonにもユニクロにもブックオフにもセブンイレブンにもお世話になっているのだから、この自己矛盾といったらないというものだ。自分で自分の首を絞めている。

 

まあ何はともあれ映画館で無事見られて良かった。

ノア・バームバックは、今新作を一番楽しみにしている監督のひとり。

ジューイッシュでニューヨーカーで、作風も含めウディ・アレンの後継者的位置づけのような印象もあるバームバック。この作品は予告編を見ても、これまでの彼の作品の中でもとりわけウディ映画を彷彿とさせるものがあったのだけれど、見てみるとウディとはまた違う。でもこれもこれでとってもいいなあと思った。

 

バームバックは作家の父と映画評論家の母を持ち、24歳で監督デビューという、才能と環境に恵まれたある種選ばれし人、そういうエリート的な印象を持っていたのだけど、この作品ではむしろベン・スティラー演じる売れないドキュメンタリー作家にシンパシーを持って描かれているというのがちょっと意外だった。

バームバック自身はアダム・ドライバー演じるジェイミーにむしろ近いと思うので。でも、映画を見ているとバームバックは多分どちらも見て来たのだろうな、と感じた。ニューヨークのアートシーンを生きるなかで、たくさんのジェシーとジェイミーを見て来たのだと。

 

とにかく人物造形が微に入り細にわたって見事で、そのいやらしいまでの観察眼に惹き付けられたし、妻ふたりに加え、脇役に至るまでの人々の配し方というのが、何ともいえず説得力があるというか。この真実味って、自分が夫を通して「こういう人たち」を少なからず知っているからなんだろうか。

 

自身ももう若くない(苦笑)ドキュメンタリー作家である我が夫は、「身につまされる〜〜ぐさぐさくる〜俺に向かって言ってんのかと思う!」と悶えていたけれど、映画の後に偶然別件でLINEを送って来た同業の友だちと「身につまされるー」「つまされるよねー」と言い合い、「俺なんて奥さんの名前ナオミだよ!(ベン・スティラーの妻役はナオミ・ワッツ)」と返信して大笑いされていた。

 

表現をして生きて行くということは、本質的にエゴイストにならざるを得なくて、本人に才能があることが前提だけれど、たとえその才能が有無を言わせないくらいに巨大なものであったとしても、そこまでのものでなかったとしても、もし彼が芸術家として生きて行くとしたら、その為に程度の差こそあれ、不可避的に周りの人々は損なれわざるを得ないという側面がある。必ず。

 

人として大切な「何か」を明け渡すのか?それとも一人の善き人として普通にに生きていくべきなのか。ひいては、あなたはあなたの人生をどう生きればいいか。そういうことをこの映画は問うていると思う。

人として大切な「何か」とは、コーネリアの父である成功したドキュメンタリー作家が言ったように「人として容赦のない部分」であると言い換えることができるかもしれない。人としての正しさや優しさや、何かに後ろ髪がひかれてしまうようでは、作りきれない、そういうイメージ。

 

と、シリアスなことを書いたけれど、作品自体は軽妙な会話で小洒落た心地良いトーンでもって描かれている。笑いどころも幾つもあって、でもそれが「イタタタ・・・」という笑いなのだけど。普通に面白く見れるし、4人の主要キャラクターが魅力的。

 

出色なのはやはりアダム・ドライバー。彼の持つ若さと無邪気な残酷さ、それゆえの自由奔放で怖いものなしの魅力に誰も抗えない。ごく自然にあざとくなく「得になる事」をするすると選択し、「得になる人」と繋がっていく。得になる女性と恋に落ちるし、もう得るもののない女性にはだんだん関心を失うか、忘れていってしまう。何の悪気もなく、自然な流れのことみたいに。

そのようにして、彼を愛する周囲の人たちをやはり無邪気に罪の意識もなく結果的に「利用する」。スマートな自己演出、自分自身人生を楽しみつつ、自身の魅力もよく分かっている。

彼自身の成功主義があまりに当たり前で自然なものなので、「何がそんなに悪いことなのか、なぜ相手がそんなにムキになるのか今ひとつ分からない」。相手もそれを楽しみ、それを望んだじゃないか、というのが彼の言い分。

 

「若くして世に出る」人というのは、才能と魅力があって、なおかつこういう性質を持った人なんだ、ということがある種の説得力を持って伝わって来ます。アダム・ドライバーはすごくはまっていた。

 

アマンダ・セイフライドも良かった。ジェイミーに若さと美しさと、彼女の素敵なエッセンスを全て与えて、共に向こう見ずで魅力的な若さを生きて、それでステップアップしたジェイミーからは徐々に忘れられて行く。切ないなあ、でもある種の定型だなあ、と思わせた。

 

でも何より、この映画を見てああ良かったなあと思ったのは、ジョシュとコーネリアという本当に素敵なカップルに出会えたことだったかも。

ふたりが本当に気が合っていて、よそ見をしたり、欲にかられたりすることなく普通にひとつのチームとして信頼しあってお互いを頼りにしている。色々分かって、でもだからこそ好きだと思って一緒にいる。二人で生きて行くということに全然迷いがないという感じ。

 

二人で下手っぴなヒップホップも踊るし、何でも本音で言い合える。ジョシュが皆の前で恥をかき、蔑まれてもコーネリアの思う「彼の良さ」は少しも揺るがないし、ジョシュもコーネリアに受け止めてもらえることにおいては少しも不安はない。

 

なんかいいなあと思って。何がしてあげられるとかしてもらうとかではなく、こういう風に隣にいてあげたいなとしみじみ思った。「あなたが素敵な人で、大好きな人だというのは当たり前のことなんだから」と思って、その気持ちを大事に生きて行けたら幸せなことだなあと。言うは易し、なんでしょうけれど。

 

 

こういう、新しい風が吹き込んで来るみたいな気持ちにさせてくれる映画が見たくて、映画を見続けているなあと思う。エンドロールで小さく拍手した一本。