続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

運動会

初夏の陽気の中、ゆうたの中学校の運動会。

町内会対抗綱引きに出れば、お弁当とお茶をもらえるので、気楽に手ぶらで学校へ。

 

春から陸上部に入ったゆうたは選抜リレーのメンバーに選ばれ、クラス対抗リレーでもアンカーに。どちらも1位は取れなかったけど、なんだか楽しそうに一所懸命走っていて、嬉しくて胸がじんとした。

 

毎年恒例の全員参加の創作ダンス、心はまだ幼い部分もあるんだけど、体はしっかり大きい中学生たちが、ありえないほどノリノリで、独特の振り付けのダンスを披露してくれる。

道端で会ってもろくに人の目も見ないような思春期中学生が、はじける笑顔で、奇妙な気合いのかけ声を発しながら、両手にポンポンを持って、スクールメイツ的なダンスを踊る。それはそれは独特な世界で、おおー、まじか・・・!と胸がどきどきするほど。うちの息子含め、全員が心から楽しそうにはっちゃけている。

知った顔を見つけては、あまりの衝撃的な面白さに何度もぶはっと吹き出してしまうのだけど、いやあ、これだけ自分を解放できる機会を持つことは、非常に貴重な経験だろうと思うわ。

ゆうたを連写して、撮れた画を見るたび、爆笑がとまらない。面白すぎる。将来彼女ができた時に、封印したい思い出No.1になることであろう。これはいざという時に使えるカードだ。母は厳重に保管しておくよ。

 

しかし今日も疲れた。子どもたちが大好きだし、こんなに早く大きくなっていくのはさみしいのだけど、自分が学校に行かなくちゃいけない期間は、とっとと早く終えたい。

ああーん、がっこにがて。高校はもう行かなくていいだろうから、あと4年か!

 

さて、今日は活躍した息子リクエストで、母子で回るお寿司に行ってきまーす。

 

一区切り

昨日も今日も、風がほんとに気持ちいい。

昨日はさくっとウクレレ練習。海で練習。風が強くて参ったけれど、気持ちよかったな。相方さんにスリランカ土産とコストコの巨大なカップケーキを頂く。もうほんとに大きい。おいしかったが胃もたれがすごい。

夕方ヨガでリセット、続くスパは極楽。ジム帰りの身体はふわふわふにゃふにゃで、いつも幸せな気持ち。昨日はピンク色の夕焼けと春風で、もう他には何も要らないという気持ちになった。にやにやと自転車を漕ぐ。

 

今日はこれから幕張。海浜幕張の駅前のアウトレット、行きたかったブランドが入っているので、取材後にお買い物に立ち寄るのが楽しみー。わーい。自分の買い物のためにわざわざ幕張なんて行かないものね。

 

だんなさんは今日は手術の撮影とやらで、朝早く出て行った。なんでも、無菌状態の手術室に入って、手術の様子を撮るらしい。怖いー。そして予定時間は6時間、途中で出ることも、飲み食いすることもかなわないらしい。想像して朝から疲れていた。

つくづくお医者さんや看護士さんってすごいお仕事だな。

 

さきほどアスガー・ファルハディの試写会レビューをなんとか納品。かかっちゃったな。でも、書きながら考えるというか、書く事で見えてくるものがあるという感覚は、いつでも快感で、その中でよりよい言葉をチョイスしていくという作業はやっぱり好きだなあ。来月はもっと映画の仕事が来ますように!

 

今読む本がないんだけど、こないだ友だちから借りた漫画「ピアノの森」と山田ズーニーの文書術についての新書を旅のお供に。この本、ぱらぱらと途中から読み出しても、なんだか反省で身をつまされる所が多すぎる。テクニックではなく、生き方指南の本みたいだ。

 

さてと準備。

 

 

 

 

踊らされぬよう

昨日、おとといと怒濤のスケジュールであった。

おとといは先方の都合で、1日に2件インタビュー。昨日は大会の間をぬって某マイナースポーツの、けれど日本ランキング1位の選手にインタビューするという形のアポだったので、断続的な待ち時間の長いこと。結局インタビューはやりきれないまま、後は電話で補足するかたちにさせてもらった。

昨日の帰りの東海道線では、もうへろへろ。

それでも人と会うのは面白いことばっかりだ。

夕飯は息子がべしゃべしゃの肉ジャガを作ってくれた。

 

金曜日の職業インタビューは、出版業界と映画業界の人。誰でも知っている、はなやかな大企業。

どちらも超ブラックで、出版の方は朝遅めだったが、帰宅は早くて終電、大抵タクシーで帰るので、近くに越しました、とのこと。映画の方はもっとひどくて、朝は6時前から、終わりはテッペン過ぎてもってことがしょっちゅう。あーあまたかー、というかんじだ。仕事の面白い、いい面もそりゃああるんだけど、それがモチベーションでみな頑張ってるんだけど、それにしても、安月給で人間の限界まで酷使され過ぎでは?と思う。

 

電通の不幸な事件があって、今は残業問題がホットなので「ほんとのこと書いてもらったら困るんで、ぼやかしてくださいね」というようなことは、本当にしょっちゅう言われる。

帰って、いろいろ聞いた「ほんとうの話」を酒のつまみにだんなさんに話すと、しみじみ「日本てすごい国だなあ」と感心していた。

 

インタビューが終わって夕暮れの銀座を歩いていると、就活スーツの大学生のグループとすれ違う。皆、実に同じような格好をしている。多くの中から、他の誰でもない自分を売り込みに行くのに、この没個性、クローン人間のごとし無個性は、あまりに矛盾してないかい?と素朴に思う。

 

私の会った人の勤める出版や映画の業界って、花形というか、憧れる学生がとても多い分野。名のある大企業の場合、就活で正攻法で新卒採用を受けても、1000人受けて3人採用とかの世界だ。

はっきり言おう!そういうアクセスの仕方は、根本的に誤っている。専門職に関してはこの限りではないですが。

仕事の得かたとして、それはあまりにもナンセンスなものだ。純粋な消耗だ。

 

大企業の就職試験の内容は、能力を見出すためのものでなくて、落とす口実のため、という意味合いのほうがずっと大きい。

なんで歴史から時事問題から流行や文化やら、数学やら理科やら、そんなあんまり業務に関係のないようなことまで試験にする必要があるのか?そんなパーフェクトヒューマンが必要か?

そしてその後、5次や6次まで面接があったりするのだ。

 

そういう「落とす前提」な就活の状況の中で、「自分はだめだ」「自分は必要とされていない人間なんだ」と自信をなくしてしまうようなこと、逆に「こんな自分を採用してくれたんだから、他はないんだから、多少無茶でも我慢しよう」とか「せっかくこんな大企業に入ったのだから」といった思い込みは、その人にとって、何ひとつプラスにはならない、と思う。

 

実際の社会においては、日本企業の多くは「人を育てる」というマインドをほぼ失ってしまっている。手のかかる甘えた新人はお荷物だから、スキルを身につけた人を中途で引っ張って来る。自分が取材する大企業の人、華やかな業界の人も、みなそうやってまず業界のすみっこに「うまいこと入り込んで」「スキルを積んで」「それを持ってもっといいとこに入り込む」という形で今に至っている、という人が多い。新卒の人って、案外辞めちゃったりしてる人も多いのじゃないのかなーと思う。

 

お金には稼ぎ方があるように、仕事にも仕事の得かたというものがあるのだよな、といろいろな人に会っててつくづく思う。

 

ベタな就活は、就活支援企業の作ったプラットフォームで踊らされているだけ。ほんとに。ああいう一大就活ムーブメントの周辺ビジネスで、どんだけ人材派遣系の企業が儲けてるかと思う。

 

この仕事をしていて、世の中の「マッチング」がどうしてこうもうまく行かないかな、と素朴に疑問を持っていたけれど、リクルート的には、実はそもそもそんなこと、どうでもいいことなのだと端々からようく分かる。

儲かるプラットフォームを、より強固なものにしていくこと。その中で踊らされる人が増えることを企業は望んでいるし、自分の頭で考えて、知恵を絞って自由で多様な進路を見出して行きたいというような人は、どこまでもマイノリティーであってほしいのだ。

 

世の中には実にいろんな仕事があって、若い人を求めている仕事があって、そして仕事は地方にもいーーーっぱいあるのだ。何なら自分で仕事を作ることだってできるのだ。都会で、会社に雇われて働くということに、あまりにも偏っていませんか?

 

就活を後押しする企業は、表面的には「あなたの勝利と幸せのために」という顔をしているし、実際その企業の人たちも、意識としてはそういう思いを持ってやっている、というところが実にたちが悪い。自己欺瞞に気がついてないみたいな、いやな無自覚さがある。

やっぱり企業というのは、どうあっても利益を追求するシステムで、皆、呼吸をするみたいに自然に儲かることを選択するのだ。自分でも気がつかないくらいに、自然に。あるいは心のどこかで気がついてるんだけど見ないようにして。

と、いう現実をシビアに見つめないことには、はじまらない。

 

外部からクールに見ていると、すごく変で、必然性のないことや、実際的でないことをなぜか正さないということにぶつかる。その時に、霧を晴らすみたいに、ものごとの実際を明らかにするのは「それが儲かるかどうかで選ばれているか」ということを見抜く視点だ。

 

学生はいろんな情報をただで与えてくれるように思ってありがたく思っているかもしれない、もちろん有用な情報もある。けれど、同時に視野を狭めるいろんな刷り込みをされていることを、頭の片隅に留めておくべきだと思う。

 

これ、受験システムも一緒ですよね。適齢期になれば「ゼクシィ」とかいう雑誌があるけど、ああいうのも結婚までのレールを敷いた一大プラットフォームの商売だし、結婚して子どもが生まれたら、また「たまひよ」やら「赤ちゃんホンポ」やらでレールを敷いて、やがて子どもは「お受験」へ。そして同じサイクルは続いていく・・・・おおこわ。

 

上手に利用するのはいいけれど、素直に踊らされてはいけないよ、と思う。

 

私が、若いうちに長い旅をすることが、どうしてかくも大事かと思うかというと、自分のいる場所の「枠」のからくりに、あほでも気がつくことができる、視野の広さを獲得できるからに他ならない。

 

いろいろな仕事をしている人にあって、労働条件が悪いことが一概に悪いとは思わない。単純に時間とお金ではかれないことは、世の中にはいっぱいあるもの。

でも、ちゃんと自分で自分の人生を選んでいるという感覚薄く、「こういうもんなんだ」と思ってやり過ごすみたいにして受け身で生きるのは、良くないなと思う。

 

システムというものは、現代でもっともおそろしいもののひとつだ。

すべてのシステムが悪ではないけれど、システムには心がない。システムを介在させることで、人と人が心のない関わりをすることにもなる。

心がないのに、ひとつの志向に向かって、あたかも有機的に増殖していき、個人にはコントロールができなくなってしまう。誰が求めているかも分からないところへ、時にシステムは極まっていく。

 

あーやば、こんな時間、働こ!

 

 

息子の思春期

友だちと、ちょっと前に出来た材木座テラスでランチ。

前回あった時は、ひどいモラハラを受けて会社をクビになったばかりだった彼女。切り替えようとばかり、さっと転職して、とっても忙しい職場に移ったので、1ヶ月半がかりでやっと予定を合わせて会った。

 

こんなに海の近くに住んでいるのに、このところちっとも海を見ていない、季節もいいから海の風を感じながらテラスでご飯もいいな、と思い提案したのだけど、友だちが元エステティシャンだったことを忘れていた・・・。

5月は1年間で一番紫外線がきついシーズンであり、一度できたシミはもうなくならないのだ、とご教示を受ける。で、室内の席で、それでも眺めは最高の席でタコライスランチを食べたのだけど、お会計を払ってお店の外に出たら、さーっとすごく気持ちのいい風が潮の匂いも乗せて体にじかにあたり、やっぱり自然の風はいいなあ、と思った。

 

息子つながりの友だちゆえ、お互いの息子について、「思春期がどんな出方をしているか」という話で盛り上がる。

友だちの息子は、ある意味王道。納得がいかないことがあると、親でも先生でも食ってかかる。自分の思い通りにならないことがあると、キレる。幼い頃から正義感が強く、自分なりに納得しないと動かない子だったから、まあ想定内というか、彼は全然大丈夫だろうな、と思う。今のモヤモヤイライラを超えて大人になれば、またきっと楽しくなれるはず。

「周りがどうだからって流されるってタイプじゃないみたいよ、奴は。」って、まるきりあなたのキャラでしょう、それは!

 

我が家の息子は、反抗やキレるというのは相変わらず全然なく、おだやかで優しい。むしろ妹がしょっちゅうキレて、やれやれと言っている。気がつけば口数はずいぶん減ったなーというかんじ。

でも!めんどくさい!なぜめんどくさいかと言うと、本人がこうと決めためちゃめちゃたくさんのルールを例外なく遵守するからであーる。

我が家では、主にだんなさんのダイエット目的のため、グルテンフリーの朝食にしているのだけど(これと早朝サーフィンだけでだんなさん13キロ痩せた)、で、昼夜は普通に何でもおいしく食べているのだけど、現在息子のみ、ほぼ完全グルテンフリー暮らしをしている。

独身時代、食品会社の商品開発の仕事をしてた関係で、私も添加物や農薬がどっちかというと気になるタイプで、子どもに与えるものにわりと神経質だったと認める。加えて、中学の家庭科の授業での栄養素の話やら、自分で図書館でいろいろ借りて読んでいる本やらで、どんどん思想を強化してしまい、気がつけば結構な健康オタクな人になっていた。

 

「あーもうめんどくさい!おかーさんは今日パスタ食べたいんだから、あんたは餅でも焼いて食え」と言うと、最近は自分で料理を作ったりもしている。

空気のきれいな自然いっぱいの田舎暮らしにも憧れて、だんなさんが取材で仲良くなった長野の農家の田植えに行くと言っている。

「行ったらもう帰ってこないんじゃない?」と妹。山村留学・・・ありうる・・・。

 

それだけじゃない。視力検査で0.3可しかなく、目が悪いのはテレビの見過ぎ、ゲームのやりすぎって、確かにあたしゃ言った。だから眼鏡をかけなさい、って。

気がつけば、テレビも映画もパソコンも携帯の画面も一切見ない人になっていた。

まあ、悪いことじゃないんだからいいんじゃない?とだんなさん。だけど、町中の液晶スクリーンの広告や、しまいにはデジタル時計の画面すら見ないってなってしまったので、まじか、と思う。

それで、最近の視力検査では1.0まで持ち直し、またまた思想を強化・・・。

 

食べないことも、見ないことも、「今お腹いっぱいだからいいや」とか「別に興味ないから見ない」とかあくまで穏便に波風立てないように言うので、もやもやしつつも放置

してきたけど、うーむどうしたものか。

 

友だちは大受けであった。そんな思春期の出方ってあるんだ!やー将来が楽しみだね!

でも、こうやって書いていると、やっぱりおおむねオレのせいだと感じるなあ〜。

 

友だちや、いろんな知人の思春期の話を聞くと、「あ、おかーさん(つまり話し手)に似てる」って感じる。子どもがお母さんの性質を、より強化して融通がきかない状態で全うしようとしているみたいな印象。

大人はぶーすか言いながらも、社会生活と折り合いをつけて、妥協もしつつ、のらりくらりやるんだけど、子どもはすごく「真に受けちゃう」というかんじで、いやはや困ったとみんなが言っている気がする。

 

「子どもが親の矛盾やずるさを突きつけるある種の合わせ鏡のような状態」が思春期状態の親子関係と言えるんじゃないだろうか。

それは、絶対的な愛と依存と信頼関係で、親を客観的に見ることがなかった子どもが、親をひとりの人として理解、解釈、納得しようとしはじめ、やがて乗り越えていこうとする過程のことなんだろう。

 

子育ては、子育てられだね、実際。

ま、テキトーに様子を見ていくしかないか。

「みみずくは黄昏に飛び立つ」

今日はぱたぱたとみんな朝からいなくなった。

息子は朝練、娘はいつも通り、だんなさんは湯河原。

そして私はこれから練馬の和凧職人の工房へ。

 

ウディ・アレンの新作、「カフェ・ソサエティ」が始まっているので、帰りに新宿で見て行こうかなーとうきうきしていたのだけど、昨日見て来ただんなさんが、

「うーん、ジェシー・アイゼンバーグはコメディには向かないなー笑えなかった」と言っていて、トーンダウン。新宿のはスクリーンもちっちゃいし、何より今日は、19時から錦織ージョコビッチ戦になった!ので!まっすぐ帰るとしよう〜ほくほく。

 

ジェシー・アイゼンバーグは、好きな役者さんのひとりだから、楽しみにしていたのだけど、やっぱりウディの代わりってかんじにはならないのだろうかな。だんなさんは、クリステン・スチュワートは絶賛していたけれど。

 

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川上未映子村上春樹にロングインタビューした、「みみずくは黄昏に飛び立つ」面白かったなあ。川上さんの質問が秀逸で、これまでで一番村上さんが「何をやってるか」ということが具体的にようく分かった。

作り手として、切実に思うところを率直に、かしこぶらずにぶつけていて、たじたじっとするほどの、その迫力が面白い。そしてやっぱり聡明な方なんだろうな、村上さんの言葉の意味するところの「肝」をさっと翻訳して、的確に要約したうえで、ぐっと先に進んで行く。

これが初のインタビューだという川上さん。すごいなあ、とただ感心。

インタビュアーというのは、聞き手の知性がまず問われる。そして、技術や場数は二の次で、話し手に対する深い理解と愛情、勇気も含めた本物の興味なのだなあ結局は、と思う。

 

インタビュー集「アンダーグラウンド」の執筆についての村上さんの話は、すごい話だった。

テープ起こしの相手の話に、自分自身を一回「くぐらせる」。相手の話の順序の入れ替えや言い回しなど、徹底的に文章は再構築される。ところが、その文章を相手にチェックしてもらうと「私が話した通りです」となっている。

私には、そういう納得性のある文章を書けているだろうか。いやあ全然だろうな、泣。

 

『何一つ、足したり引いたりはしない。その人のボイスを、より他者と共鳴しやすいボイスに変えているだけ。そうすることによって、その人の伝えたいリアリティはよりリアルになります。僕はそれを「マジックタッチ」と呼んでいます』

 

ううーん、ううーーーん。がんばろう・・・・

 

しかし、文章を書くことが本当に好きで、文章を磨くことが何よりという話には勇気づけられた。文体は格好ではなくて、命綱なのだ、ということ。文体が中身を引き出して行くのだということ。

また、分析するのではなく、ものごとをそのまま受け入れる体力をつけること、そういう力を身につけることが大事という話。そうかこのまま進んで大丈夫なんだな、という励ましに思えた。

 

さて、準備!

 

 

みんな落ち着こう、オレも含め。

電話インタビュー、無事終了。インタビュイーが映画業界の方だけあって、興味もひとしお。予定を30分以上もオーバーしてしゃべるしゃべる。申し訳ない!

 

素敵な人だったなあ。最初のメールのやりとりの腰の低さから、まだまだ若手の人かと思っていたら、結構なキャリアのある中堅の方だった。実るほど頭を垂れる、ってやつだ。

 

映画のように、集団でもの作りしていく現場においては、人としてやーな奴では結局先細るということのひとつの結果なんだとも思う。

色々突っ込んだことも聞いたが、ユーモラスに、でも誠実にじっくり考えながら答えてくださった。

 

今日も朝からいくつかの電話やメールのやりとりをしていて、もちろん表立って失敬な人などいないのだけど、人の雑さというものに、少しずつ傷ついている自分がいる。

相手はほんとに無意識なんだと思うのだけど。軽んじられたり、全く想像力もなくプッシュされたり、機械の歯車みたく思ってんだろうなーと感じさせられたり。

そういうやりとりの中で生まれた小さなひっかき傷みたいなのは、少しずつ蓄積していく。

大事なのは、「そうだよね、痛むよね、おお可哀想に」と自分をいたわってあげること。そんなことに傷ついているようじゃだめだ、って自分を鼓舞するのは、やっちゃいけないことだ。

 

今日のインタビュイーは、鬼のように忙しい映画業界にあって、落ち着いていたなあ。しかも、超絶ブラック環境での仕事ぶりを話題にしているというのに。(どこまで書いていいものやら、とほほ)

 

自分も映画大好きだけれど、映画に対する愛というものが、すごくシンプルにこの方を支えているんだなーとじわっと嬉しかった。何はなくともゾンビ映画、っていうのがまたいいね(にっこり)。

 

誰でも、自分の大好きなものを大事に抱きしめて生きている。そういうことを感じられた時、人って可愛いなあと思います。

 

さて、今日の仕事はおしまい。好きな本読んで、酒飲むぞ、ヤッホー!

コツコツと。

木曜日は、ジムもお休みなので、あきらめもつく。

今日のTO DOを書き出してみたら、ざっと9個。

あ、妹へのメールの返信も忘れちゃだめだ、10個。

 

と、言うてるまに、だんなさんに「名刺発注しといてー」と頼まれ11個。

はーー、とまずは深呼吸をし、ラジオ体操第一もやり、それからコツコツひとつずつ、やっていくしかないっすね。

と書いたそばから、電話が鳴る。ちょっと「ピキッ」とくるものがあります。

 

にしても、コツコツひとつずつ、より良い方を選ぶ、という姿勢は、長いこと生きてきたなかで、徐々に身に付いてきた善きことのひとつだと思う。辛抱強い性質のだんなさんの影響も大きいけれど、「年の功」とも思う。

 

ちょっと話が逸れるけれど、フランスと韓国の大統領選が、ほぼ同時にあって、どちらの国民も、より「平和的」なベクトルを選択したという結果になり、良かったな、と思っている。

 

韓国は、前政権の反動ということがまずあるし、フランスに関していえば、マクロン氏は、元プロの金融屋で、ずっとエリート街道をひた走って来たような人物で、弱者に寄り添うリーダーとかでは、まあないんだろうとは思う。

しかしロシアの資金援助を受けながら、孤立主義や排外主義を掲げるルペン氏がリーダーになるのは、やっぱりとんでもなく怖いことだ。

 

バラ色の選択はない。

このことを考えた時に、いつも思い出すオノ・ヨーコの言葉がある。

 

「悪をなす人々は容易に団結する。悪は利害さえ一致すれば、細かいことは問わないからです。

善をなす人々は、理念などの細かい違いに拘泥して、なかなかまとまらない。だから、悪は強いんです。

私はふたつのことだけしか見ない。その人やその行動が戦争に向かっているか、平和に向かっているか?

平和に向かっているのなら、誰でもありがとうと言って手を繋ぎます。」

 

フランス大統領選でも、棄権者が相当数にのぼったという。けれど、完全に納得できる道などそうそうなく、主義に合わないからと棄権するのは、今のような世の中ではとりわけ危険と思うのだ。

目の前に選べることがあったら、それが双方不本意なものであったとしても、何はともあれ「平和」に向かっている方向を、ひとつひとつ、選んでいくしかない。じりじりと、ひとつずつ。

 

一足飛びでどうにかしようと思う未熟さが、トランプ大統領を生んだと思う。

今の日本の状況もしかり。すぐに結果がほしい。分かりやすく手軽なものに飛びつく。じりじりと一歩ずつ積み上げる地味さと、時間をかけるということに耐えられない人が大勢いるんだと思う。

 

時間がかけられないという病は、もうとどまることを知らない勢いで、もはやコントロールできることではないような気も正直しているけれど、だからこそ、「目の前のひとつずつを、これは戦争に向かっているか、平和に向かっているか」とシンプルに吟味する、という習慣を大事にしたい。

 

コツコツ、ひとつずつだ。