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続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

雑記(週前半)

おお、気がつけば3月も終わりに差し掛かっている。

ああ、光陰矢の如し。

 

ここ一週間の備忘録含め、雑記。

火曜日、雨の中、たまーーーに会う、唯一の小学校ご近所仲間、SちゃんMちゃんと駅前のオーガニックレストランでランチ。

情報通のSちゃんに、ここぞとばかり受験話などをまとめてレクチャーしていただく。内心、ますます「このゲームには極力参加しないでいいや」と思う。

これからものらりくらりマイペース路線を貫いて行こう、と心をかためる。

近所のむずかしい人や、役員を引き受けない「ずるい」他所のおかーさんの話など、やや閉口。しかし、エアポケットに入ってるがごとく、周囲のことを何にも知らない自分なので、はーーなるほどーーと口をぽかんと開けて聞き入る。

でも、極力関わり合いにならないようにしている自分も、色々言われてそうだなあ、おーこわ、とちょっとしょんぼりしてしまった。

 

Mちゃんは、私の知人の中で誰よりもちゃんとしている人だ。純正のA型人間という感じ。いつもこぎれいに美人で、お母さんを全力でやっている。そしてとても繊細で、色んなことに傷ついていて、だから子供には傷ついてほしくないとすごく思っている。お金で解決できる事には惜しみなくお金を投入する。

学生時代なら、畏れ多くて近づけなかった、別惑星に住む人だ。私は雑駁すぎて、相当呆れられているだろうと思うのだけど、今は色々協力しあえることがあるので、良くしてもらっている。

 

ロコモコランチは美味しかった。「ケール」という雑草みたいな食感の健康野菜を、生まれて初めてサラダで食べた。

 

水曜日、1週間ぶりのヨガ。生まれ変わった気持ちになる。水曜の先生さっぱりしていて、ちょっとSで、好きだな。

クラス後はスパで汗を流すのだけど、の水曜のスパはいつも混雑していて、いつもはのびのびと一人でおっさん的に過ごす山小屋サウナの中も、元気な60代のおばちゃんたちでいっぱい。でも、彼女等のおしゃべりがすっごく面白く、頭から湯気が出るまでつい居座って耳をそばだててしまう。

 

聞こえてませんよ、という風に装っているのに、こないだは

「やっぱりピンピンコロリが一番いいね!」

「最近は『PPK』っつーらしいけどね!」

というやりとりで思わず吹き出し、咳をしてごまかした。

 

別に聞かれててもいいらしく、面白い事言ったった!という瞬間に、

ドヤ顔で振り向いてアイコンタクトしてきた人もいた。

思わずうなずいてにやっと笑顔を返す私。

 

先週も、ドアを開けて入るなり、

「あんた、火葬と土葬、どっちがいい?」

というパンチ力のある会話が耳に飛び込んできて、よっしゃ、と思う。

でも今の日本人で土葬ってないでしょう、と思っていると、

どうやら皇族は今でも選べるらしいわよ、という展開であった。

 

高齢者が多い今のジムでは、たびたび倒れて搬送されるお年寄りがいる。

先日もひとりプールで亡くなったらしい。

「今日はお風呂混んでてこれじゃ帰れないよ」

「じゃあ泊まったら?こないだぽっくりいった◯◯さん化けてでるわよ」

わ、わるっ!

「△△さんのご主人もジムで倒れたらしくて」

「退会させられちゃうって奥さんすごい怒ってて」

「あなた、食べ過ぎよ!ってだんなさんに怒ってたから、食べ過ぎは関係ないんじゃない?って」

「ぎゃはははは」

 

何だか最強である。年をとるのも、死ぬのももはや怖くなくなってくるという勢いだ。デイサービス辞めてお年寄りロスだったので、元気なお年寄りみるとうれしくてにんまりしてしまう。

 

木曜日、ひたすら仕事。だんなさん春日部で遅かったので、夕方からは娘と「ラ・ラ・ランド」を見に行く。良かったー。

 

ただメモ

インディアンウェルズ始まり。昨日は日が変わる前に寝て、5時前に起き出したけど、中継間に合わず。サマータイム〜。でも、あっさりストレート勝ちで何より。

それより、西岡選手がカルロビッチに勝ったのびっくりだ。次はベルディッチか!うーーん、いや!今のあなたならやれるはず。

 

今日は確定申告作業の予備日にあてていたけれど、週末のうちに無事終了〜(にっこり)。

今日は原稿の修正+1本。生理で(ガーン)ヨガには行けなくなってしまったから、後は色々整える日にしよう。

 

ああ〜「ララランド」結局まだ行けてない。忙しいん嫌やー。明日は人と会うから、水曜日にはなんとか予定繰り合わせて行く。

「クーリンチェ少年殺人事件」も何があっても見たいし、今週は「夜は短し歩けよ乙女」の試写も控えている。3月は映画月間になりそうだ。うれしい!がんばらにゃ!

 

さてさて、落ち着いてひとつずつクリアしていこう。

 

 

 

 

 

 

鎌倉へ

昨日はいちんち友だちと鎌倉へ、気晴らしおでかけ。

雪ノ下の「ベルグフェルド」でランチして、報国寺をのんびりおしゃべりしながら散策。

 

報国寺は京都っぽい空間で、大学生が春休みだからか、すごく混雑していたけれど、良い「気」の場所で、とりとめないおしゃべりでほっこりなごんだ。

帰り道のR134も、海がきらきら、平和な風景。時折くだらない話で爆笑しながらのドライブ。友だちよ、癒されました。ありがとう〜。

 

外に出ると、さすがに切り替わってせいせいするなあ。

けれど、私はガラケーだから曲がりなりにも余白ができる。

スマホだと結局、すきま時間にちょこちょこスマホチェックすることを止められなそうな気がする。

町中や電車の中で見かける人皆、スマホに心を奪われているからなあ。

 

いつまで持ちこたえられるか、と思いながらのガラケー生活継続中。

 

今日はだんなさんは東京国際フォーラム、私は午後から試写、息子は卒業式で3限帰り、娘はいつも通り。皆それぞれの動きをつつがなく。

 

今月は新作映画の試写を週1ペースで入れている。とにかくバランス取りつつ、ひとつひとつ積み上げていかなくてはな、と思う今日このごろ。自分を信頼して、書く場を与えてもらえるのは、本当にありがたいこと。

あとは早いとこ確定申告終わらせたいぞ!

 

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底をつく

不器用で、新しい生活サイクルに馴染めぬまま試行錯誤の日々。

デイサービスも辞めたし、仕事がんばらねば、と思ってちょっと頑張りすぎてしまっていたみたい。

常に頭の片隅に「未消化案件」と書いた札がぺたっと貼られているような感覚があって、知らず知らずの内に、結構気が塞いでいたらしい。

 

色々いいことがあってもそれを上手くキャッチできていない、ありがたいことをありがたく思えていない自分にふと今日気がついた。

 

自転車に乗ってジムへ向かう道すがら、なんてことない住宅街の裏道を走っていて、「こつん」と小さな音を聞いた。

それは「あ、もうこんな自分に飽きた」という気づきの音。

 

それで「明るくあらなきゃあな」とふーっと息を吐いて思い、ぐんぐんとペダルを漕いでジムへ行き、憑き物を落とすみたいにがんがん汗をかいて、がしがしとお風呂で体を磨いてすっきりした。

 

不満とか、被害者意識みたいなものに、知らず知らず、巣食われていた。きっかけも原因もよく分からぬ。こわいなあ。

このところ、常に仕事が出入りしている状態に慣れず、自分自身を整理できないもやもや感の中で過ごしていたことは、大きく関係しているような気がする。所詮このつたない、若くもない身体が資本だ。

 

幸福はバランスの中にある。分かっていても、上手くドライブするのは至難の業だ。

日々、いろんな目に遭うし、色んな人に色んなことを言われもするし、プッシュされたりもするし。

 

それでも、物事は本当に捉え方次第だから、「明るくあることを選ぶ」と決めた途端に、流れは目に見えて変わって来る。

 

ある程度の気力がないと「明るくあることを選ぶ」元気もないから、しょうもない自分に耐えながらやり過ごすしかない時間もある。

底をついたということは、気力が少しづつ貯まって来たしるしであるのかも知れぬ。

 

それも自分、これも自分。

 

親しい人、そうでもない人も含めた周囲の人々に助けられて巻き返すことは多い。何はともあれ孤独はいかんなと思う。

まだまだできてないんだけど、やっぱり人と関わることから逃げてはいけないんだな。

 

 

 

今年も確定申告

春の気配を感じつつも、ぞわぞわと寒く、首にホッカイロをしこんで仕事をしている。

まずは、確定申告だ!早いとこ終わらせねばならぬ。

 

数字が何より苦手で、役員仕事でも会計だけはかんべんして〜!と他の役に変えてもらっているくらいで、普段は家計簿すらつけない。

確定申告は、そんな私が年に一度、数字と格闘する短い期間だ。

 

我が家はだんなさんおこずかい制でもなく、ふたりで二枚カードを持って、その中でやりくりできれば良し、というざっくり感。

良くないことなのだろうけれど、極力お金のことを考えないで生きていくというのが良く言えば信条、ごくリアルに言えば、お金にアレルギーが強く、だらしない性格だということ。

 

独身時代から、給与明細って一切見なかったし、今もお金を引き落とした時に「あー増えてる」「ありゃ?こんだけしかもうない」という感覚。

「よく耐えられるね」と色んな方から言われること数度。不安感はんぱないでしょう、と。

その度に、そうそう、結構きついのよー。と困り顔で、適度な常識人感を出している。

でも、お尻に火がつくポイントが多分、周囲の皆さんに比べてものすごーーく、遅いと思う。怒られそうなのでじっと黙っている。

まあ、だからこそこんな不安定なフリーランスでわりに日々ハッピーにやってられるんだろう。

 

それだけに、確定申告をポストに投函した時の数字の奴に勝ってやったぜ!という達成感ははんぱなものではない。

自分を褒めるのが苦手で、家人に言わせると卑屈な性格だのに、確定申告という、自営業なら誰でも普通にやっている会計作業を年に一度、人並みにやり終えた時は、いつもかなり熱く自分を褒めてしまう。わたし!すごいっ!えらい!って。

始まりがいつも不安からだから、無事終了した時の開放感もものすごい。

多分毎年祝杯を挙げていると思う。

あの充実感を求めて毎年確定申告しているなあ!

なんだか楽しみになってきたぞ。

目の前の桃だけ拾うおばあさん

だんだんと、春のきざし。

日曜は久々に家族4人で親水公園。

早咲きの桜は、もう葉桜になりかけていた。

風が強くてバドミントンできず、サッカーしたり、テニスをしたり。

 

男ふたりはキャッチボールを始めたので、

女ふたりはちょっとアスレチックで遊んでから公園の隅まで散策に。

色んな人が、思い思いに過ごしている。

ジャンベの練習をしている人、MTBで岩登りしているグループ、スケボー少年、静かに連れ立って歩く老夫婦。

間に大きな引地川が流れていて、風が気持ち良く抜けている。

とりわけ見晴らしが良く、暖かくなったらここでおべんと食べたいな、と思うスポットを心に留めてから引き返した。

 

昨日の風の余波で、今日も波が高いらしい。

だんなさんは材木座へ波乗りに行く準備をいそいそと。

私は午後から広報の打ち合わせ。何にも準備してないままで行く。

 

 

さて、何となく乗れないままにこれから仕事だけれど。

先週売り込みに行った新宿2丁目の編プロの社長さん。彼に限らず、得意分野は何か、何が人よりアドバンテージをもって書けるのか、ということを大抵聞かれる。

 

私は、そうは言ってもこれだけは誰にも負けないなんて何に関しても言えないし、と思い、

正直に、自分は聴くことが好きで得意と思っているので、ジャンルに依らず、今後もインタビューや取材を中心でいきたいと答えた。

こんなんでいいんだろうかとは思いつつ。

 

そんな中、昨日の糸井さんの「今日のダーリン」でこんなフレーズ。

『ある時期から、ぼくはなんにも詳しくないと決めて、目の前に流れてきた桃だけ拾うおばあさんになったのよ。』

いいな、目の前の桃だけ拾うおばあさん。

 

何につけ、「これだけは誰にも負けません」なんて、ほぼインチキだ。

知れば知るほど、何も知らないことを知るのが真理なのだから。

そういうハッタリで、自分を余計に大きく高く見せたりするのは、疲れるばっかりだから、あんまりしたくない。

もちろん、仕事相手に不安を与えるようではいけないとは思うけれど。

 

そして、「知らない」ということを言うことを、嫌う人ってわりにいる。

けれど、私は「知らない」と言うのはむしろ好きな方かもしれない。「知らない、ぜひ聴かせて」と伝えると、会話の世界はすごく豊かに広がって行くから。

そうは言っても、もっと若い頃は、知らないとカミングアウトすることは、時々怖かったりした。

年を取って、それなりに開き直り、少しは色んなものに脅かされない人生になってきているのだろうと思うと、喜ばしいことのような気がする。

 

件の編プロからは「これからがっつり一緒にやりましょう!」と言っていただき、良かった。これからも、ひとつひとつ、嘘つかないで積み上げていこう。

 

もうこの年になったら、自分が普通にできる、無理なくできる、と思うことを背伸びせずにやっていく。お金を一番にせず。わくわくするポイントを見出しながら。

「たかが世界の終わり」

昨日は一日偏頭痛がひどくて、体調が悪い訳でもないのになんでだろうと思っていたら、きっと気圧のせいだと言われ、なるほど。いちんち風がごうごうだったからなあ。台風の時に頭が痛くなるあのかんじと確かに似ていた。

今朝起きたら、風はおさまり、頭痛も去っていました。

 

息子は部活へ、娘は子ども会へ、だんなさんは明るくなる前に起き出し、日帰り札幌。北海道日帰りなんて、まったくどうかしている。

しかし独り好きの私はほくほく。

 

 

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昨日の「たかが世界の終わり」。うーん、今までで一番乗れなかったかなあ。

本作がカンヌのグランプリ穫ったと聞いて、ちょっと「ううむ」と思っていたが。カンヌのグランプリって、純粋に作品そのものというより、「そろそろこの監督にあげてもよかろう」的な、ある種あわせ技で選ばれた的な印象を持つ作品も少なくなかったりする。

 

でも、はっとするような映像の数々、独特の緊張と弛緩、せつなくなるような色彩感覚は健在で、ひととき酔いつつじっくり見入った。

 

アブディラティフ・ケシシュの映画のように、息が詰まるほどクローズアップのカットが多用されていて、登場人物の揺れ動く心理を顔の表情から読み取らせようとする。

ものすごい疲れるのだけど、役者たちはさすがの顔ぶれだから、見応えがある。

 

こないだシャーロット・ランプリングの「さざなみ」を見て、あれもすごい作品だったけど、それに匹敵する「顔色を見る映画」だった。

 

そして、やはり彼の描く「年増の女性」は素敵だ。本作ではナタリー・バイ演じるお母さん。いつも通り、ドランが衣装を担当しているのだろうけれど、めちゃいかしてたなあ、化けてたなあ!

彼の映画の年を重ねた女たちは、ときに悪趣味すれすれだったりもするのだけど、いつもすごく決まっていて、ぐっとくるセンス。

何より、ドランが描く女性たちは、どんと太く、懐が深くって、力強い正直さのパワーを持っていて、なおかつ繊細な可愛らしい部分を感じさせる。

そんな「ありのまま」を感じさせる女の描き方に、女性に対する深い愛と自然なリスペクトの感覚を感じる。

 

きっと彼はフェミニストなんだろうなと思う。「女性優遇、レディファースト」的な浅い意味ではなくって、男性が女性を所有したり、支配したり、性的客体として見ることを良しとしないということだ。そういう視点から自由だから、彼の描く女性はこんなにも好ましいのだろうなと思う。

 

それはもちろん、彼自身がゲイであることと切り離す事のできないことで、私がLGBTの映画監督や役者に好きな人が多いのは、男権主義的な、女を男から見て価値が高ければ崇拝し、あるいは価値が低ければ蔑むといった、無意識に仕分けするような視点を彼らがあらかじめ持たないからということも大いに関係するんだろうと改めて気付かされた。

 

今回ちょっと残念だったのは、テーマかもしれない。

若くして時代の寵児となった彼が、周囲の人々のどんな思惑の中にあるかを想像することは難しくない。彼が彼の才能と感覚の求めるままに前へ進み、華々しく成功した事で、彼に見捨てられたと思っている身近な人々の恨み。意図せず傷つけてしまった人々に対する罪悪感。彼はなんといってもまだ若いし、それだけにしたり顔で説教されたり、罵られたり、やっかまれたりすることは、きっとものすごくあるんだと思う。

そういうことをすごく辛く悲しく淋しく思うだろうなということも理解できる。気の毒だとも思う。

けれど、自己憐憫に陥ってしまってはだめだ。創作する人は、その一つ下の層を掘らないと。そのゾーンでは多分似た者同士でしか繋がれない。

 

本作のヴァン・サン・カッセルの演じた、かなり突飛でエキセントリックに過ぎる異様なキャラクターには人間の説得力を感じられず、ちょっとコメディー的ですらあった。それはアントワーヌという人物が、物語のご都合をしょってしまっていたからなんだろうな、と思う。

 

お話を意図する方向に進めるために、あるいは作者の一方的な、ひとりよがりな視点でもって、登場人物の自然に寄り添わず、それを曲げてしまうと、キャラクターのダイナミズムは、どんなに役者が上手に演じたとしても大きく損なわれてしまう。それぞれの人物における納得性というものが、フィクションにおけるリアリティーの肝なんじゃないだろうか。

 

次作を楽しみに期待。