続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「マイヤーウィッツ家の人々」

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ノア・バームバックの新作は、劇場では公開されず、Netflixで公開。お金のパワーには誰も叶わないなあ。

 

既視感あり。先日久々に見てブログでも書いた「イカとクジラ」と良く似た話だ。

ニューヨークの知的エリート層のジューイッシュの監督がニューヨークを舞台に撮るという時点でどうしてもウディ・アレンを彷彿とさせるし、また実際その通りな映画作りであるところはあるんだけれど、やはりウディとは違う。

 

それは距離感。

映画の外観やスクリプトの組み立てはウディ・アレンの雰囲気。でもウディの物語はいつも風刺とペーソスの効いた「大人のおとぎ話」なのに対して、バームバックの物語はもっと「自分の物語」。彼自身の葛藤やこだわりや苦しみといった生々しく消化されていないものがそのままに投影されている。自己慰安という側面を持った作品だと思う。

それがいけないということではないが、ひとときの甘く苦い夢のように物語を旅するというウディ・アレン映画の持つふくよかさを改めて思わされた。

 

ダスティン・ホフマンアダム・サンドラー、とても上手に化けていて、さすがだなあと思う。いつも何かしら「こうむる」役のベン・スティラーも安定感。

 ダスティン・ホフマンの嫌なおやじの説得力のあること。ねじくれたプライドを長年古い粘土みたいにぺたぺたと貼付けてきて、もういかんともしがたくがちがちに凝り固まったどうしようもないあの感じ。ひたすらはた迷惑という感覚がひしひしと伝わって、でも「そうそう、家族の付き合いってこういうものだよね・・・」という納得性にため息。

 

最後に「ありがとう、ゆるすよ、さよなら」とつぶやくアダム・サンドラーのつぶやきは、「イカとクジラ」で最後にむせびなくジェシー・アイゼンバーグの姿と重なる。多分、監督そのものそのまんまなんだろうな・・・と思う。

 

全編に渡る、素晴らしいリアリティーと洞察力。けれど、家族というものの業の深さを描いた作品では、私は「レイチェルの結婚」の方が好きだな。もっと普遍的で考えさせられた。

晴れ間

久々のお日様。

今日は少し早めに家を出て、線路の見える高台の公園で本を読みながら日光浴をしようと思う。

 

私がデザインしたデイサービスの広報誌の新しいやつがヨックモックと一緒に送られて来た。週末のバザーのお知らせとともに。

目が回るほどいつも忙しく、財政も厳しいはずなのに、いつも気を使いすぎるほどのあすこの人々。

何かお返しに送ろうと思ったんだけど、そうだ寄付が一番だと思ってネットで振込み。ちょっと奮発した。でも要らないって言っているのにデザイン料もいつも支払ってくれるから、その分も倍返し。

そして、ついでに立憲民主党にも個人寄付をほんの少しだけどしておいた。

 

自分は何もかもはできない。向いている事とそうでない事も年取るごとにきっぱりくっきりしてくるし、体力も衰えてきているし。

でもお金はちゃんと役に立つ。お金はいかに使うかが大切。と、いつものように思う。

 

 

昨日は久々に会う友人宅で、ペールのフレンチお弁当をつまみながら夕方までおしゃべり。

彼女が保護センターから引き取った犬(キャンディ)にやっと会えた!めーっちゃかわいかった。ぬれた黒い大きな瞳でじいっと顔を見る。中型犬くらいの大きさだのに、耳とシッポはパピヨンみたいに大きくふさふさと長い毛が生えている。世界で一匹のオリジナルな風貌が、か、可愛すぎる・・・。思い出しても胸きゅんだ。

ああ、なんで写真を撮らなかったんだろう。私のばかばか。

 

しかし、ブルータスお前もか。フェイスブックで再会した昔の男と。

このパターンを聞くの何人目だろう。ほんと罪深いツールだなあ。一線は越えんようにね、と釘をさす。

現奥さんの写真とかも簡単に見れてしまう。私に見せられても、と思いつつ、ついつい見てしまった。

「ねー、怖い世の中だよねー」

と冷めた瞳で奥さんの写真を眺める友よ・・・。

そうこうするうちに彼女の子どもたちががやがや小学校から帰って来て、でも特に話をやめるでもない。子どもたちも当然ながらお母さんが恋わずらってることなんて気もつかない。うーむ、人の世は。

 

でも、これまでの蓄積があるから、彼女を責める気持ちには全然なれない。私だったらそんな風に夫に言われたら耐えられない、と思っていたもの。

私は小心者だからとても無理だし、気が合う人と一緒になれて本当にラッキーだった。それでも先には何があるかは誰にも分からないんだ。

 

今回、久々に彼女に会った時、「あ、痩せてきれいになっている」ってすぐ思ったんだった。うん、こういう事があった皆さん、明らかにきれいに女性らしいムードになる。美しきは善きことだ。善きことなんだろうけれど。

 

ウディ・アレンの「ハンナとその姉妹」を思い出すなあ。秋だし、また見たいなあ。

映画の中の人たちはみな結局のところ「それ」を我慢する事はできない。人間はどうあってもしたいようにするものだ。

そして気が済んだら元の鞘に納まって行く。心の中に苦さを抱えながら。

観客として、外からクールに眺めていると、「おうおう、さかっておるのう、誰も彼も。」という感じだ。でも当事者的にはめくるめく愛の世界だ。分かっていても誰しもそうだ。自分だってそうだった。ぎゃー、思い出すと赤面だ。穴があったら入りたいぜ。

いつだって恋ってそういうもんなのだ。

 

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雨でも元気に

朝、ごみ捨て場で会ったご近所さん、開口一番「冬だねー!」と。

今日の最高気温は13度らしい。大変大変、ストーブの準備をしなきゃあ。

 

こんな雨降りで、生理だから今日は家で整える日にしよう。気が向いたらまだ差し迫ってない原稿を書こう。

 

 

胸の悪くなる話なので、さらっとだけ書くけれど、ハリウッドの大物プロデューサーがアカデミー会員除名のニュース。長年にわたり権力をかさにきて、性的暴行をはたらいてきたのだから自業自得だけれど、芋づる式にさまざまな映画監督や俳優の名前も挙がって来ている。

なかでもビョークラース・フォン・トリアーを告発した文章は、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」が自分にとって、とても大切な作品だっただけに残念と言うしかない。

 

そして、日本において権力にレイプ事件がにぎりつぶされた「詩織さん」の事件がテレビでほとんど報じられないのは、政治的圧力もあろうが、日本のテレビ・映像関係者に同様の犯罪をしている人が少なからずいるためだろうと言う話、残念ながらそうだろうと思ってしまう。

家人が映像関係者なので、性暴力の話は聞かないまでも、現場での暴力や恫喝やブラック労働の話はうんざりするほど聞かされて来たし、これだけ監督やプロデューサーが王様だったら、しょうもない人ならそれはやるであろう、という気持ち。

 

詩織さんが自身のドキュメントを出版するとのこと、一番忘れてしまいたいつらい立場の人が世の中にむけて声をあげるのだから、私たちは目を背けず、知ろうとしなくてはいけないのではないかな。けして楽しい本ではないの分かっているけれど、そう思って作者への応援の気持ちを込めて本の予約をしたところ。

 

世の中にはたしかに理不尽が溢れている。誰もが時にひどい目に遭うし、誰かをひどい目に遭わせてしまうこともある。でも、言うべきことを堂々と言って、明るく輝いて生きていくと自分で決めるしかないんだと思う。みんな!がんばろー!!と思う!

 

年を取って、とても優しい、こだわりのない空気をまとった人に時々会うとうれしくなる。ひとつ踏み込むと、大抵傷だらけで、自分のコアをけして明け渡さなかった人だ。損得見越しておいしいほうに流れる生き方は嫌。自分も彼らのように誠実に年をとりたい。小人物な自分には難しいけど、できるだけ美しくありたいと、努力は続けたい。

 

 

さて!重たい話はここまで。

今週は週末おっちんの運動会。旗手に選ばれて意気揚々のおっちん。どこで見れば私が一番よく見える、ということをいちいち説明してくれる。どうして子どもってこんなに自信満々に見て見て!ってなれるのかな、と可愛くて面白くて仕方がない。

でも、今週はほとんど雨っぽい。どうなることやらだ。

そして明日は友だちと中華ランチ、週半ばには星野源ファンの友だちに声をかけてもらって星野源出演映画を見ながら昼飲みというわくわく企画。

週末は江ノ島花火もある。日曜日はゆうたの陸上の大会。

雨だけど、今週も落ち着いて、元気にひとつずつやっていこう。

 

 

 

 

 

 

 

駅伝

朝、屋根をたたく雨音で目が覚めた。

こんな中走るのかー、とつぶやくゆうた。

めでたく駅伝選抜メンバーに選ばれた彼は、それでもひとり5時起きして、いつも通りの朝食を一人で作って食べ、地区駅伝大会へ出かけていった。

 

私は9時頃に遅ればせながらレインコートに自転車で応援に行く。

雨降りで寒かったけれど、駅伝観戦、楽しかったな。自分はもはや100mだってろくにダッシュできないけれど、自分から細胞分裂した人が、沿道で応援を受けながら、すごい勢いでたったか駅伝を走っている。なんだか呆気にとられる。

 

すごく不思議だし、自分の好きなことをのびのびやっている息子がしみじみとうれしいな、と思う。彼が彼らしくあることが、何の留保なく嬉しいと思える、そういう気持ちを抱ける人がこの世にいるということの幸せ。

いろいろとマニアックな人だが、ゆうたの世界をシェアしてもらえることを通じて、いろんな意外な楽しみを私も分けてもらえていることも喜びだ。

 

才能あろうがなかろうが、向いてようが向いてなかろうが関係ない。これからもなんも気にせずどんどん行け!と思う。

 

観戦後は、応援コースの近くに、好きな自家製酵母のパン屋さん(jiji)があったので、ほかほかできたてのおいしいパンをたくさん買って帰った。

 

だんなさんは昨日本番で、月末まではのんびりモード。今日はこれから家族で日帰り温泉へゴー。

やっちまった&中村文則「日本の岐路」

あーやってぢまっだーーーーー。

ハ!と気がついた今日は13日。おっちんにせがまれて、10日に必死のパッチでゲットした、ジブリ美術館のチケット引き換えに、行くのを、忘れてしまった!(泣)昨日までだった・・・がっくり。ああ、どんだけ怒られるだろうと思うと・・・はーユウウツ。

コンサート並みの勢いで取るの大変だったのにな。泣けて来る。

来月、か、必ず来月こそだ。がっくし。

 

 

しんと静まり返った家の中。今晩は9時まではひとりっきり。

今日はやけに冷え込む。

夕方雨に濡れながらジムから帰ってきたら、身体が冷えてぞわぞわ。慌ててフリースの暖かい部屋着に着替えて、熱いミルクティーを飲んだ。

これからワイン飲みつつ豚汁を作ろうと思う。

 

 

あと10日で選挙。

気がつけば、野党が割れたおかげで、支持率30%しかない与党が圧勝との新聞の予想。

なんだかこの状況、狂っているように思えるんだけど。でも、誰もあんまり気にしてないように見える。私のほうがおかしいんだろうか(泣)?

自分は、この国ではいつまでーもいつまでーもマイノリティーなのだと嘆息するのみ。

それでも。それでも自分はより良いと思える人に、静かに一票を投じるしかない。

 

 

「教団X」の著者である小説家中村文則さんが朝日新聞に書いた文章、とても共感したので、とても長いですが下記にシェアします。小説家だけあって、想像力をかき立てられる語り口。教団Xを思い出しつつ読みました。

時間がある時に、良かったら読んでみてください。

 

 

(寄稿)総選挙、日本の岐路 作家・中村文則

 

衆議院が解散となった。解散理由の説得力のなさは、多くの人がすでに書いているので、ここでは繰り返さない。僕もその件に関し首相の発言を様々に観たり読んだりしたが、わからなかった。

 

 でも今回の解散は、ある意味首相らしいとも言える。首相はそもそも様々なことに対し、もう国民を納得させる必要をそれほど 感じていないように見える。本当の説明をせず、押し通すことに、もう「慣れて」しまっているように見える。これは、とても危険なことだ。

 

 安倍首相を積極的に支持している人達は、共謀罪をあのような形で成立させても、森友学園問題で首相夫人を私人と閣議決定しても、親友で何度も会っている、加計学園の理事長の長年の目標(15回申請していた)の獣医学部への想いを今年の1月20日まで知らなかったと言っても、その件で関係者達が国会で「記憶にない」を連発しても支持してくれる。だからそういった層には、元々説明する必要性は薄い。

 

(ちなみに付け加えて書くと、これらを全く問題ないと強く首相を支持する人達と、蓮舫議員の二重国籍問題を批判した人達はかなり被るので、少し想像していただきたいのだが、もしこれらが全て「蓮舫首相」がやったことだったらどうだろうか。蓮舫首相が獣医学部の規制に「ドリルで穴を開けた」結果、蓮舫首相の長年の親友の大学のみがその対象に選ばれたとしたら。果たして彼らは同じように「全く問題ない」と言うだろうか。少なくとも、ネット配信が盛んなあの保守系の新聞が、打って変わって「蓮舫首相の加計学園問題」を喜々として叩く様子が目に浮かぶ。ちなみに僕は無党派というのもあるが、もし「蓮舫首相」が同じことをしても絶対批判する。逆に安倍首相に蓮舫氏のような「二重国籍問題」があっても絶対批判しない。強い安倍政権支持は、もう論というより感情の世界に入り込んでいる危険がある)

 

 首相に対しどちらともいえない、いわゆる中間層に対しても、首相は説明の必要性をそれほど感じていないように見える。

 実際、そういった人達が政治にうんざりし、選挙に来ないでもらえたらそれでもいいし(投票率が下がれば組織票に強い自公政権は有利)、北朝鮮の脅威を煽れば自分達に投票してくれるだろうし、森友・加計問題も、このまま関係者達の大半を今のように隠しておけば、いずれうやむやに忘れてくれると思っているのではないか。安保関連法であれほど支持率が下がっても参院選で大勝した結果、中間層までも「甘く見る」ようになってしまったと感じられてならない。あの選挙での大勝は本当に大きな出来事だった。だからこれらは首相の資質というより、我々有権者がそうさせてしまったことが大きい。

 

 そして政権を批判している人達に対しては、首相が都議選で野次のコールをした人々に対し「こんな人達に負けるわけにはいかないんです」と言ったあの言葉が浮かぶ。一国のトップである首相が、国民の間に線を引いた瞬間だった。「こんな人達」はつまり「敵」として線を引いているので、そもそも説明する必要を感じていない。

 

 どの層に対しても、そうなってしまっているのではないか。今回の解散も、その延長にあると僕は思う。国会を見ていると、事実より隠蔽の、説明より突破の、共生より排他の強引な政治のように感じる。そしてそれらを、論というよりは感情によって支える人達が様々に擁護していく。

 

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一連の感覚は世相にも現れているように思う。「中村(僕)は安倍政権を批判したから売国奴」とある人物から言われたことがある。

 首相という立場は、国民から厳しい目で見られ、時に批判されるのは当然のこと。とても辛い立場だ。正直そう思う。でもそれらに懐深くいられる人物であるからこそ、逆に首相という困難な立場にいることができるともいえる。政権批判=売国奴(非国民)の幼稚な構図が出来上がったのは、小泉政権でその萌芽はあったが、安倍政権で本格化したと僕は感じる(他の首相では滅多にそうならない)。事実が重視されないフェイクニュースの問題も顕在化している。理性的とは言えないヘイト・スピーチや揶揄や罵倒がネット上に溢れるようになったのはもっと前からだが、年々酷くなっている印象を受ける。安倍政権を熱烈に支持する「論客」などには、彼らなりの愛国のせいか、どうも排他的な人達が散見され、そういった言説を広げようとする傾向がある。

 

 知人と憲法の話になり、僕が個別的自衛権集団的自衛権の違いなどの話をしながら現憲法を擁護していると、面倒そうに説明を遮られ、「でもまあ色々あるんだろうけど、(憲法を変えないと戦争できないから)舐められるじゃん」と言われたのはつい先月のことだった。「舐められるじゃん」。説明より、シンプルな感情が先に出てしまう空気。卵が先か鶏が先かじゃないけれど、これらの不穏な世相と今の政治はどこかリンクしているように思えてならない。時代の空気と政治は、往々にしてリンクしてしまうことがある。論が感情にかき消されていく。

 

 今回の解散の結果、政治は混乱している。「野党の準備が整う前に解散したのでは」とよく報道で目にするが、永田町論理では当然のテクニックなのだろうが、一般の我々からすると、それは本来「有権者の選択肢に不都合を与える行為」でしかない。解散権の乱用については一度議論が必要だ。でもそれも関係ないのかもしれない。支持する人達は感情で支持してくれるし、あとは北朝鮮の名を連呼して突破する。

 

 この強引な解散によって、小池都知事によるかなり右よりの保守政党希望の党」が登場し、前原誠司氏は事実上民進党を解体した。

 

 希望の党旧民主党のリベラル派に対抗馬を立てるとの報道があるが、あまりにもくだらないと感じる。反・安倍政権の野党候補の一本化を、邪魔するためにのこのこ出てきたわけではあるまい。仮に自公政権が勝利すれば、その勝因は希望の党野党共闘を破壊したことも大きいことになり、そうなれば、小池知事も前原氏も、最高の安倍政権アシストとして歴史に名を残すことになる。まさかそんなチンケなことは望んでいないだろう。希望の党は、他の野党候補と今からでも選挙区の棲み分けをするべきだ。そうでないと、希望の党が選挙に出る大義は薄れるのではないか。

 

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選挙の先にあるのは何だろう。

 現政権が勝利すれば、私達はこれまでの政権の全ての政治手法を認めたことになる。政権は何でもできるようになる。あれほどのことをしても、倒れなかった政権ならすさまじい。友人を優遇しても何をしても、関係者が「記憶にない」を連発し証拠を破棄し続ければよい。国民はその手法を「よし」としたのだから。私達は安倍政権をというより、このような「政治手法」を信任したことを歴史に刻むことになる。

 

 感情的に支持する人はより感情的になり攻撃性も増し、本当の説明は不要だから、発展途上国独裁政権のように腐敗することも理論上可能となる。「私は悪いことをしている」と公言する独裁者はいない。いい加減な説明をし、国民は納得していないのに権力に居続けるのが典型的な独裁政権だからだ。明治というより昭和の戦前・戦中の時代空気に対する懐古趣味もさらに現れてくるように思う。そもそも教育勅語を暗唱させていた幼稚園を、首相夫人は素晴らしい教育方針ともうすでに言っている。

 

 改憲には対外的な危機感が必要だから、外交はより敵対的なものになり、緊張は否応なく増してしまうかもしれない。改憲のための様々な政治工作が溢れ、政府からの使者のようなコメンテーター達が今よりも乱立しテレビを席巻し、危機を煽る印象操作の中に私達の日常がおかれるように思えてならない。現状がさらに加速するのだとしたら、ネットの一部はより過激になり、さらにメディアは情けない者達から順番に委縮していき、多数の人々がそんな空気にうんざりし半径5メートルの幸福だけを見るようになって政治から距離を置けば、この国を動かすうねりは一部の熱狂的な者達に委ねられ、日本の社会の空気は未曽有の事態を迎える可能性がある。

 

 北朝鮮との対立を煽られるだけ煽られた結果の、憎しみに目の色を変えた人々の沸騰は見たくない。人間は「善」の殻に覆われる時、躊躇なく内面の攻撃性を解放することは覚えておいた方がいい。結果改憲のために戦争となれば本末転倒だ。

 

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最後に、投票について。こんなふざけた選挙は参加したくない、と思う人もいるだろうが、私達はそれでも選挙に行かなければならない。なぜなら、たとえあなたが選挙に興味がなくても、選挙はあなたに興味を持っているからだ。

 

 現在の与党は、組織票が強いので投票率が下がるほど有利となる。彼らを一人の人間として擬人化し、投票日の国民達の行動を、複眼的に見られる場面を想像してみる。「彼」は、投票日当日のあなたの行動を固唾を飲んで見守っている。自分達に投票してくれれば一番よいが、そうでない場合、あなたには絶対に、投票に行かないでくれと願う。あなたが家に居続けていれば、よしよしと心の中でうなずく。

結果投票に行かなかった場合、「彼」はガッツポーズをし、喜びに打ち震えワインの栓でも抜くだろう。こんな選挙に怒りを覚えボイコットしている国民に対しても「作戦成功」とほくそ笑むだろう。反対に、野党は投票率が上がるほど有利となる。野党の「彼」は、当然あなたに選挙に行って欲しいと固唾を飲んで見守り続けることになる。

有権者になるとは、望んでいなくてもつまりそういうことなのだ。

 

 この選挙は、日本の決定的な岐路になる。歴史には後戻りの効かなくなるポイントがあると言われるが、恐らく、それは今だと僕は思っている。  

 

 

 *  なかむらふみのり 1977年生まれ。「土の中の子供」で芥川賞。最新作は近未来のディストピアを描いた「R帝国」。作品は各国で翻訳されている。

    (2017年10月6日 朝日新聞に寄稿)

新学期はじまる、「ザ・マジックアワー」

新学期スタート。新学期感薄し。

 

ライフスタイル本のおかげで、家事のルーティンが整理されて気分がスキっ。

今日の午前中はさくさくとやるべきことをやれたので、とっても気持ちがいい!

 

給食は明日からなので、おっちん昼前に帰宅。急いで茄子のミートソースパスタを作っていると、だんなさんもサーフィンから帰ってきた。

 

午後からはおっちんの親友・ともちゃんが来て、2人でディズニーシーへ行く計画を練っている。

 

昨日・今日と、執筆した記事が公開されたり、終わった原稿の校了の知らせが届いたり、支払い明細が届いたりと、フィニッシュ感があるなあ。いろいろさっぱりすっきりだ。

 

また、新たな気持ちで年末に向けて暮らして行こう。

 

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昨夜は夜、だんなさんいなかったので、Netflixで子どもたちと一緒に三谷さんの「ザ・マジックアワー」を見て、お腹抱えて大笑い。三谷節が炸裂していて、やっぱり大好きだなあ。

キラ星のような役者さんたちがそろい踏みで、それぞれほんとに良い仕事をしている。

これだけの役者それぞれに個性と見せ場をちゃんと盛り込んでくる脚本の力量はすごいもんだ。

 

この作品の脚本、よく練られていて、誰でも単純に楽しめて、ほんと大好き。最後に思いがけなくラッシュの映像が流れるシーンの仕掛けなんかもぐっと来る。「映画の現場」への愛が詰まってるなあ、とにっこりした気持ち。

 

そして、この作品はキャスティングがいいなあと改めて思った。

日本映画の配役は意外性のないタイプキャストが多く、見る前からどんな感じか想像がついてしまうようなのが多い。でもこの作品の主要メンバーは、意外性のあるキャスティングでいい。

深津絵里の悪女。西田敏行があくまで受け身の役割のギャングの親分。佐藤浩市が垢抜けない、あんまり頭の良くない俳優。

妻夫木聡は、ちょっとはまってない感があり、惜しいな。でも「清須会議」のバカ殿は結構このキャラに近い感じなので、監督的には気に入ったのかも。

 

いずれにしても、コアとなるこの3人がいずれもよくあるパターンとは違う起用で、しかも少しも破綻なく、魅力ある存在になっているのがいいなあと思う。

 

クッションばんばん叩きながらギャハギャハ笑ってる子どもたちを見ていて、とっても幸せな気持ちになった。

今晩もだんなさんおらず。今日は何を見ようかなー。

マルチタスク人間

秋休み最終日。

ゆうたは八景島へ駅伝の試走。おっちんはまりかちゃんとテラスモールで女子会。だんなさんは昼から都内。というそれぞれの動き。

 

私はほんのちょこっとの原稿修正をして、後はFREEだーーー。

 

マルチタスク型の自分はついつい本を併読してしまうのだけど、今も家のあっちこっちに本が置かれていて、目についた本を手に取って切れ切れに読むというスタイル。これ良くないよね、と思いつつもそうなってしまうんだなあ。

 

その中の一冊、久々に読んでいるいわゆるライフスタイル本「それって、必要?」(筆子著:角川書店)にマルチタスクについての記述が書かれていた。

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いわく、マルチタスク(一度に複数の事をこなす)をすると、脳からドーパミンが出る。快を感じるのでクセになってしまうのだけど、これは必然的にエスカレートする。

また、マルチタスクによって生産性が上がるというのは完全な錯覚。

むしろ効率を下げ、「常に未完の宿題」を抱えている状態に陥るのでストレスを増やし、物事を落ち着いて正しく選択するエネルギーを奪ってしまう。

あー本当に私そのものだ。だめだめじゃないっすか。要改善だ。

 

これ以外にも、この本なかなか面白い。

いわゆる「断捨離本」は世に溢れているけれど、整理整頓や物の捨て方だけでなく、「情報」や「人間関係」「人生」といった精神的な面での考え方の提案が参考になる。

自分みたいにやもすると考えが千々乱れて訳分からなくなってしまいがちな人にとっては、心の中の小さな楔みたいにすとんと腑に落ちる感覚がある。

 

今日は子供らもいないから、のんびり落ち着いて庭仕事をしよう、もう蚊もいないし。と思うとうきうきするなあ。ラジオを聴きながら作業するのは許してもらいたい。これが「無」になれるんだよなあ。