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続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「0.5ミリ」「百円の恋」

映画は劇場でみるのがやっぱり好きだし、日々時間に余裕もないと、家で見る映画は減る一方。相当放置されていたNetflix、もったいないから解約しよう、という話になり、その前にと気になっていた一本を見る。

 

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安藤桃子監督の「0.5ミリ」。ものすごく良くて、びっくりする。見る前にそこまで期待していなかったので、その高低差もあるんだと思いますが。

日本映画では、一番好きな女性監督といえば西川美和だったけど、「0.5ミリ」は「永い言い訳」を軽く超えてきたぞ。今後もフォローしていきたい監督がまたひとり加わった。

 

この作品にびっくりした理由はいくつもあるけれど、詰まるところ、それらはいずれも様々な側面からこの映画を見た時に、純粋にとても上質な作品だったということにつきると思う。

それもこれも、正直に言うと、彼女が奥田瑛二の娘さんで、七光りというのではもちろんないけれど、きっと普通の人よりはずっと機会に恵まれて来られた方なのだろうな・・・、という偏見があったということを認める。

プロデューサーはお父さんで、主演は妹で、他のキャスティングも奥田氏の人脈関連や、妹サクラの義父母(柄本明夫妻)だったり、そうした要素も、原因のひとつだとは思うが、まあ私がその程度の人間で、斜に構え、たかをくくってものを見ているということを突きつけられるようで、反省した。

この映画は、そんな浅はかな思惑をぶっとばす素晴らしいパワーを持ったすごい作品だと思う。

 

惜しむらくは、3時間18分という、この作品の尺である。やっぱり長すぎると思う。私らみたいな映画好きでも、ちょっと尻込みするもの、この長尺は。相当間口を狭めてしまっている。加えて興行的にも相当なマイナスポイントのはず。

 

もちろん、映画を観ると納得はする。そうならざるを得なかったのだろうな、と。こんな私が書く以前に、めちゃめちゃ周囲の人たちから説得されていただろうし。

 

要は、映画という媒体と制約に、この作品が噛み合わないんだな。

この作品は、テレビドラマ形式でやると、どんだけ良いかと思う。

作品は、主人公山岸サワが触媒のような役割を果たしながら、社会の中で疎んじられ、見捨てられた壮年から老年の男性たちの生き様をシビアに、愛情深くあぶり出して行く、オムニバス。

毎回、1人の男性登場人物に対して1話という、ドラマ形式で続き物で見られたら、どんだけ面白いだろう、と思った。社会的にも、ものすごく切り込んだ内容になっていくだろうから、物議をかもすだろうし、けれど、それだけにすごく意義深い作品になるに違いない。

テレビドラマで、このクオリティーがどこまで保てるかどうかはさておき。 

 

この、安藤サクラが演じる「山岸サワ」。映画を見続けるなかで、彼女のことが大好きになった。ある意味、最強の人で、こういうキャラクターを生み出した監督に敬意を感じるし、彼女を取り巻くおやじたちに向ける、監督のまなざしの深さと愛情深さに、もう感服してしまった。

安藤桃子監督は、今の日本で、誰もが見ようとしない、忌み嫌い、ないものとして目を背けようとしているところを、ぐっと目を見開き、足を踏ん張って、穴があくほどじーーっと見ているという感覚がある。

すごい、自分にはそんな深みはどこにもない、そういう打ちのめされるような思いに何度もなった。

 

結局のところ、映画を見終わって、まだまだ山岸サワに会いたくってたまらない、という気持ちなのだな。

 

この映画、好きすぎて、書き出したらきりがない。怖くて、可笑しくて、力強くて、ぐるぐると生きるエネルギーが渦巻いている。

誰もが醜くて、可愛らしくて、みじめで、誇り高いところをぐじゃぐじゃに持っている。固定化された切り口ってものがない。

何かを決めてかかって安心することができないし、他人事と高みから見物することもできない。

そういう映画だから、しかも3時間以上もあるのだから、本当に疲れる。

でも、だからこそ、すんばらしいのだ。

 

キャストひとりひとりに、拍手したいような気持ちになった映画は久しぶり。坂田利夫、と今書いただけで泣ける〜。津川さんも、亡き井上竜じいも、ほんま素晴らしかった。

そして安藤サクラには、目からウロコ、似たようなお人形のような美人な女優さんなら山ほどいるが、彼女はもはや、唯一無二。最高に奇妙で可笑しく、だらしないのに気合いがすごく、とにかくいかしている。こんな変わった人物をものすごい説得力で演じ、素晴らしかった。

見られてありがとう。また時間を置いて見返したい特別な1本。

 

それでまた、昨夜、「百円の恋」を見て、またサクラにやられた。えー!?とどん引きするシーンが数々。まあすごい映画だったが、きれいごとではない迫力が満ち満ちた作品。続けざまに見ると、ハードすぎるとは思う。

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不潔で無気力とか、本来はすごく苦手要素なのに、やっぱり一子が大好きになってしまった。ラストシーン、白目向いて倒れてる一子が愛おしくて泣いた。ボクシングがどんどん強くなっていくところ、やっぱり説得力と真実味がすごい。この人、格好良すぎる。全然自分とは違いすぎる人だが、ああいいなあと思う。

 

そして、昨日京都から帰って来た夫が、「関西の私鉄の広告で見たけど、サクラと桃子が某化粧品のキービジュアルになっていて、すごくきれいだったよ」と言っていた。

 

0.5ミリ」、やっぱり百聞は一見にしかずだ。姉妹のこれからの活躍が楽しみ。

「LA LA LAND」

今日で4月もおしまい。

なので、今月の映画たち。

 

「LA LA LAND」

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みんな大好き「ラ・ラ・ランド」。私もものすごい好きでした。1回目、娘と見に行ったけれど、こんなに分かりやすいストレートな映画、と大人の感覚では思うものの、10歳には機微っちゅーもんが、やはりねえ。となりで時折「ふぅー」とため息をつくので気が散って。

見終わった後の感想で、娘はライアン・ゴスリングにもまったくピンときていなかったと判明。しっかりしてる彼女を、もういっちょ前と思って接しているけれど、やっぱり彼女も10歳なんだな、と新鮮な驚き。

この映画におけるセブは、女性みんなの夢の恋人で、逆にミアは「そうであったかもしれないあなた」という立ち位置なのは、キャスティングからもわりにはっきりしている。

だから、こう言っちゃうとまあ気恥ずかしいことなんだけれど、しびれる、時に冴えない現実を生きる大人のひとりとして、こういう映画は、どうせなら、ひととき、心置きなく酔っぱらって、ぐっと入り込んで見たいなと。

そんな訳で、結構大きなスクリーンで夕方からやる時間帯を狙って、シャンパンの小瓶とチーズを鞄にしのばせて、もう一回見に行って来た。

 

オープニングタイトルの出るまでの、フリーウェイでのミュージカルのシークエンスだけで、やっぱりもう、うるっとくる。

これが、アメリカ映画が今、やらなきゃいけないことだ、と感じる。

それを、これが初の大作である若き映画監督がやったのだなあ、と思う。

「セッション」もリズム感とシズル感がすごいと思ったけれど、やっぱり彼は音楽の人で、ぐっとくるようないかしたメリハリ、スタイリッシュな感覚を持っている。同時に懐かしい感覚もあって、昔の映画も相当好きなんだろうなと思う。

 

劇中の音楽そのものの力も相当だ。映画のトーンと巧みにリンクした、しかもすごくキャッチーで心に残る、印象深いフレーズたち。うちの子どもも、いまだに家で口ずさんでいる。

 

そこに素晴らしいカメラワーク。ネットのメイキング動画で、冒頭のシークエンスを監督が自分のiphoneで自ら動きながらテスト撮影したものを見たのだけど、たまげた。この時点で相当なクオリティになっている。手持ちiphoneですよ。

技術はあくまでツールなのだなあ、まずは才能ありきなのだな、と感心した。

撮影のメイキングは他のシーンも面白く、この作品のカメラマンは本当に肉体労働だな!と思いつつ面白く見た。

 

隙のない作品の流れ。冒頭は、勢いあるミュージカルシーンをたたみかけ、見る者を高揚させ、途中はテンポよく、あくまで楽しく美しく、物語をどんどん見せて、ラストのセブとミアの再会、「そうであったかもしれない人生」をセブのピアノに乗せて夢見るように見せて行くシーンにはやっぱり泣かされてしまった。あんまりきれいで、かけがえのない大事な感覚があって。

最後の目だけで交わす、かつての恋人たちのやりとりの静かさとそれゆえの雄弁さが、心にあったかな灯をともすように、じんじんといつまでも残り、心を温めてくれる。

映画は、ひとときの夢かもしれなくても、こういう後味を残してくれる映画が、どれだけ人を温め、励ましてくれることだろう。

現実のアメリカ、ひいては世界が、げんなりするほど下品だから、この映画の持つ品の良さに、多くの人が救われたような思いになったのじゃないだろうか。

 

ところで、別の日に、この映画を見に行っただんなさん。「ああ良かったな・・・」と思いながら見終わって席を立つと、後ろの席のおばさんがしんみりと「ふうー、長い映画だったねえ」と言って、思わず振り返った、とのこと。

このタイミングで、こんなにパンチ力のある、全てを粉々にするコメントはそうそうないね、と爆笑。

デイミアン・チャゼルの耳には絶対に入れたくない。

 

アスレチックへ

息子が陸上部になってから、とても良い生活サイクルになった。

顧問の先生がバランス感覚のある方なので、やるべき時はやりながら、しっかり休みもあるというスタイル。

この中学のほかの体育会系、そして吹奏楽部のように、ひたすら休みがなくて、伸びたゴムみたいになっちゃう心配もなく、練習のある日も、ただだらだらと拘束するという考えでないのがいい。

合理的に、しっかりみっちり練習し、平日は毎日へとへとになって帰宅するものの、息子は毎日「しんどかった!でも今日も楽しかったー」と言い、とても機嫌が良い。そして、もりもりご飯を食べている。

 

適切に発散されている・・・リビドーを含め・・・と最近の息子を見ていて実感。そして1年遅れで入って来た息子を温かく迎えてくれているチームメイト。

もめたけど、辞めれてほんと良かった。先生方にも感謝感謝。

 

今日は部活休みで、息子と娘それぞれの友だちを連れて、つくし野のアスレチックに引率。昼ご飯後集合だったからばたばただったけど、生き生きわいわい身体を動かしている子どもを見ているのはいい気持ち。楽しゅうございました。

 

子どもを放牧して、自分は読みかけの本を読もうと企んでいたけれど、結局励ましたり、子供らの荷物を山盛り持って移動したり、写真をばしばし撮ったりしていて、閉園まで過ごしてしまった。

 

久々に親っぽい一日を過ごせて、しみじみと嬉しかったな。ほんとにみるみる手を離れていくのだもの。

 

子どもが赤ん坊の頃、スーパーで見知らぬおばさま、おばあさまに「一番いい時期よー」と言われて、全然ピンと来なかったけど、今はほんとによく分かる。

電車で向かいの席のお母さんの腕の中で、心から脱力してほげーと寝ている赤ん坊を見て、ああなんてすごいことだろう、と思うけれど、当のお母さんは眉間にしわを寄せてスマホを一心不乱に見ていたりする。

 

その気持ちもめっちゃよく分かる。そう、今がチャンスなのだものね。でも、他人の勝手な思いで、もったいないなー、私ももったいなかったなーと思う。

 

今は、それだけ余裕がやっとこ出て来たということなのだろう。

今日はいちんち、お母さんやって楽しかった。

気分良く、これからすき焼きにかかるとする。

 

 

怒濤のインタビュー月間

昨日、今日と、だんなさんが京都なので、落ち着いてひとつひとつ仕事の山をやっつけている。

電磁波で頭と目が心配だー。

 

色々ブログに書きたい事が、日々たまって行くのに、いざちょっとした時間ができても、抜け殻状態で、もう何にも思い出せない、というかんじだ。でも、アウトプットしてないから、脳内にじわじわと色んな思いがたまって行く。これが私の場合、一番ダメなんだな。はーしかし余力が〜。

 

今日は夕方からアスガー・ファルハディの新作「セールスマン」の試写。帰りは9時半を回ってしまう。

さっきまで、スーパーへ買い出しに行き、子供らの晩ご飯(ホワイトシチュー)をせっせと作っていた。朝〜午後は、一番元気な時間で、大抵仕事をしているので、昼に買い物に出たのは久しぶりだった。ゆったりとした雰囲気。自分まで何だか地に足ついた気分だ。

もっと家の事、暮らしにちゃんと向き合わないとな、と思う。

 

とは言うものの、5月は怒濤のインタビュー月間になりそう。一体何人の人に会うのだ、わたし。

世の中には、かくも多くの職業が存在するのだなあ、と呆然とするほど。

でも、自分とはかけ離れた人生を送っている人たちに話を聴く事は、基本的にとても楽しく、わくわくすることだ。

仕事にかこつけて、好奇心のおもむくままに手前勝手な事を訊いたりもしている。

 

先日、どうにも尻込みしてしまった職業の人がいて、それは「ファッションショーのプランナー」。ウェブサイトを見ても、モノトーンのめっちゃおしゃれで情報量がやけに少ないページ、マネキンのような、美しいアンドロイドみたいなモデルがポージングしている。WORKSを見ても、ジバンシーだのクロエだの、完全にパリコレ的な世界だ。あまりにスタイリッシュ、モード色が強すぎて、うわーと思う。

 

さっそく毛玉のついたフリースの部屋着に寝グセスタイルで、階下のだんなさんに「どうしよう〜、こんなちんちくりんが行って場違いそのものだよ、着ていく服もないし。コシノヒロコとか、川久保怜みたいな人が出て来たら、どうしよう!」と報告しに行く。

汚い格好の私を一瞥して吹き出すだんな。

「ぶっ、おもしろいじゃん。じゃあ対抗してブルゾンちえみの格好してけば?」と言うので、

「開口一番『ダメウーマン!』って言われるよ(泣)」「ぎゃはは、言われるね、確実に」とひとしきり自虐ネタで爆笑。むきー、他人事だと思って。

でも、ちょっとどきどきしつつ電話をしたら、インタビュイーは感じの良い、気さくな方だった。再来週、南青山のオッサレなアトリエへ行くことに。

 

こうも混み合って来ると、どうもふわふわして来るけど、貴重な機会をもらえたことを楽しんで、ひとりひとりの人にきちんと向き合っていきたい。ちょっとごまかしたり、やっつけでもっと要領よく、簡単に済ませることはできるけど、それじゃやっている意味もないから。

 

 

 

 

なんかかんかと

 

風はひんやりするけど、どこもかしこも春の息吹で溢れている、というかんじ。

桜が散ったのと入れ替わりに、我が家の庭のフォレストパンジーが花盛り。10年経たずにこんな大木になり、毎年素晴らしい姿を見せてくれる。ほんとにありがとう、と思う。

 

このところ、苦手な春だけに、空回りの連続。浮き足立っていくつも失敗をやらかしている。レシートをなくした李、郵便の投函を忘れたり、注文を忘れたり・・・涙。

そして、ありがたいことなんだけれど、私の仕事は増え続けている。我が家はこのままどんどん夫の主夫化が進むのだろうか。はあー。

えいやっと気合いを入れ直し、がんばっていかなあかんなーと思います。

 

昨日は、昼から夕方遅くまで、中学校。

貧乏くじで、PTA総会の議長になってしまい、内心大笑いだ。

体育館の壇上からマイクで「拍手をもって承認願います」とか、神妙な顔つきで言っている自分に何度か吹き出しそうになってしまった。

 

その後は、吹奏楽部から陸上部に転部した息子の部活懇談会にも。

色んなお母さんたちとの社交や、新顧問の先生へのご挨拶など、ぐったりするほど疲れた!ムキー、向いてねー!

そして帰ってすぐにワインを飲んで、だらだらへらへらして過ごす。

 

夕飯は例によって息子が作ってくれた。

豚バラ肉とキャベツとしめじのソテー。それにあり合わせの総菜と、つくりおきのキクイモのポタージュとごはんであった。

 

今日だんなさんは鎌倉の実家へ用事で行っていたため、帰りに「フロレスタ」のドーナツを買って来てもらった。それで食後のデザートは、トースターでふわふわに温めたフロレスタの定番ドーナツ「ネイチャー」。これ、好物なのです。他にアールグレイやホワイトチョコがけのも食べたけど、やっぱりプレーンが一番いいと思う。

 

今週は、久々にウクレレの慰問演奏もやっつけでなくちゃんとやれて、気分が良かった。おばあちゃんたちに逆にこっちが癒された。仕事もまあまあ順調にこなし、今日は昼過ぎから友だちの家でヘナ。マッサージや足湯もしてくれて、ごほうびみたいな時間だし、何より気をつかわぬおしゃべり楽し。

 

なんかかんかと毎日あるが、感謝感謝。

あちこち痛いがまだまだ元気で、好きな時に好きな所へ行けて、好きなものを食べられることの幸せ。手を伸ばせば、すべすべお肌の子供とスキンシップできる幸せ。

「レキシ」の新曲PVをYoutubeで見て、大笑いできる幸せ!

 

と、自分で自分をアゲて、仕事にかかるとしまするよ〜

 

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冬の庭

 

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春の庭

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フォレストパンジーの花

テレビなし実験

昨夜は冬のパジャマが暑苦しくって、寝室で脱いでTシャツ一枚で寝たけど、平気だった。もう春なんだなあ。

 

今日はこれから自由が丘に取材。

自由が丘、ほんとに久しぶり。でも、せっかくだからあすこへ行きたい、ここも行きたいということが全然ない。ぶらぶら歩けばそれなりに楽しいので、小一時間ほど仕事の後ぶらついて帰ろう、という感じ。

 

都内に出ても、映画館以外はそんなに寄り道しなくなってしまったなあ〜。この好奇心の薄さはどうなんじゃろ。

 

我が家は1ヶ月、テレビなし実験をすることになった。子供ふたりがノリノリで、親は渋々。息子には以前からたびたび言われていて、聞き流していたのだけど、昨日の夕飯時に家族会議的になり、なんだかそういうことになってしまった。

 

正直、テレビは基本、本当につまらなく、年々見ているテレビは減って、録画している決まったものだけを見るサイクルになっていた。たまにぼーっと何となく見てしまうと、後で「ああ、時間を無駄にした。くだらなかった」と後悔することも多かったので、まあいいのだけど、なんとなく不安に思ったり。

そしてうちはだんなさんが仕事の関係上、見ないといけないものもあるから、処分というわけにはいかない。普段はリモコンしまっとくくらいのことか。

 

私的には、こないだの「カルテット」のようないいドラマもたまにはあるし、テニスがある時は見たいしなあ。

録画して見ているプログラムは「72時間」「家、ついて行っていいですか?」「covers」「ぼくらの時間」など。

 

ま、一番のテレビっ子の娘がどう出るか次第だな。

そして今のNHKに受信料払うのは、いい加減業腹だったので、そこはせいせいするな。

 

しかし、普通テレビ見るなって親が言うことだよなあ。テレビもゲームも要らない、図書館に行けば本が読めるし、外に出れば運動できる、と息子が言う。なんでそんな大人が言うようなことを言うんじゃろ。そして親ふたりは「えーまじでやるの?別にちょっとくらい、いんじゃない?」とか言っている。

最近はご飯作りにはまっている息子。週に2、3度は、私のウー・ウェン本を読み込んで、献立を立て、買い出しに行き、八角の効いた豚の角煮なぞを作っている。変な子供だ。私はらくちんでいいのだけど。

 

私のお腹から出て来た子供とはいえ、考えていることは分からないし、独自の性格を持って、どんどんと成長している子どもたち。どんな風になっていくか、誰にも分からない。わくわくと楽しみ。

 

でも、実家の母には「怒らないし、好きにさせすぎ」もっとちゃんと子育てせんとあかん、と呆れられている。

どんな側面においても、人生のどのシーンでもどこに誰といても、自分は自然と鬼っ子人生みたいになってしまう。いつもさびしいような、開き直っているような感覚で生きている。

今の幸せは、だんなさんという同志がいてくれるからこそだ。

牯嶺街少年殺人事件

先月見た、印象深い2作品のうちのひとつ。

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牯嶺街少年殺人事件」

3時間56分、トイレに行きたくなったらどうしようとどきどきしながら見た。杞憂に終わる。

優れた映画は、多かれ少なかれ、その映画の世界にトリップしたような感覚を抱かせるものだけれど、この作品のトリップ感、その場にあたかも居合わせているような気分のリアリティーは特別だと思う。どうして、何が原因でこんなことが起こるのだろうと思う。

冒頭、うららかな陽気の昼下がり、美しい一本の並木道を行き交う人々が長回しで映されるのだけど、その段階でものすごく引き込まれてしまった。その時代とその場所に。まだ物語が始まってもいないのに。

 

本当に映像が美しく、好きでない画がひとつもない。どれもばっちり決まっている。構図に迷いがないし、淡い色彩と引き算の美ともいうべき映像表現は、日本的な感覚に通じると思う。もちろん小津の影響は色濃くあるのだろうけれど、エドワード・ヤンはずっとモダンというか、にくいほどお洒落な感覚がある。小津の影響を受けている海外作品は枚挙にいとまがないけれど、エドワード・ヤンの映像は、アキ・カウリスマキと同じくらいに好ましいと感じる。カウリスマキとはまた全然違うのもいい。

そして夜。あまりにも魅惑的。魔法のよう。美しすぎるし、20年以上も前の映画とは全然思えない、全く古さを感じない。とにかく、忘れがたい美しさ。

エドワード・ヤンのエゴイスティックで天才的な感覚、その美に対する厳格さ、あまりに厳しいと思うけれど、やはり魅了される。観客で良かった、と思う。

 

トーリーは、実際にあった事件をアレンジしたものだということ、詳しくは知らない。私自身は、男性性と女性性の違いが深く印象に残った。

ある社会の状況があった時に、男性性は女性性に比べ、ずっと危うく、寄る辺ない。男は大人も子供も社会性の生き物であって、女性はもっと動物的に地に根を張り、子孫を増やす。ある歪んだ社会のありように対する怒りも含め、そういう男と女の生き方の違いのようなものが、象徴的に表されていたと感じた。普遍的なテーマだと思う。

 

あっと驚くような変遷がいくつもあって、不可塑性に打ちのめされるような気持ちになり、脱力したところで、合格発表を読み上げるラジオの音声で作品が終わって行く、その余韻の素晴らしさ。

久々に中国語の映画を堪能したという気持ち。