続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「カメラを止めるな!」

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2017年/上田慎一郎監督/96分

 

横浜ムービルにて家族4人で鑑賞。やっと見ることができたー。

この映画のヒットは、もう事件レベルの話になってきていますね。今後もどんどん拡大するだろうから、秋口には近所のシネコンでもきっと見られるような気がする。

東京のマニアックな劇場で地味に封切られたこの作品が今や全国150館以は上とは!

私たちが昨日見たムービルのスクリーンも、550席以上でほぼ満席だった。いやあ、えらいこっちゃである。

 

 

で、見てみての感想、ご多分にもれずとっても楽しかった!屈託なくギャハギャハ声を出して笑って、ひとときとっても良い気分にさせてもらったなあ。そして溢れる映画愛。エンドロールに切り替わった瞬間、じわっと涙が滲む。ありがとうー、という気持ち。

 

確かに有名な俳優は出ていないけれど、キャスティングが総じて良かったのが印象的。自主映画でよく見られるような、役者の演技で気持ちが削がれてしまうこともなかった。

 

しかし、何と言ってもこの作品は脚本が見事なことと、冒頭37分のワンカットようやったの功績が大きいなあ。金を使えばいいってもんじゃないよ、ということを身をもって示していて、実に爽快。

 

内田けんじの脚本を彷彿とさせる、用意周到に撒かれた伏線を後半でズザザザーっと底引き網漁的に見事にさらうように回収していく感じがわくわくと面白かったなあ!

ジャンルはホラーコメディということになるのだろうが、手法はミステリーのような頭脳駆使系の作品。アイデアとセンスが全てを凌駕する。

 そして何はともあれワンカット!の迫力もやっぱりアイデアとセンスの賜物。

 

 

なんかなあ、こういうのいいなあ。予定調和から全部気持ちよーく外れて、ちっとも訳知り顔でなくあっけらかんと明るくて、でも雑でも稚拙でもない。

 

変な言い方だけれど、搾取されている感じがどこにもなくって、ただただ元気をもらえる感じがする。そういう心映えのものが今貴重だよなと改めて思う。

世界と和解したいらしい

Lowな気分のまま、ついに40代後半戦に突入する。

考えごとで頭の中がぐるぐるしていて、落ち着かない。どこか上の空みたいな調子のまま、でも着実に時間は経ってゆくのだなあ。

 

耳の下にできたしこり、先日精密検査の結果が出て、リンパ節の腫れらしくしばらく様子を見ようということになった。大したことないとわかってホッとするも、「どうして腫れが治らないのかは分からない」と言われ、これからも病院通いは続きそう。そういうスッキリしなさ加減も、このところの自分の精神状況とリンクしている感じ。

 

実は初見では腫瘍かもしれないと言われていた。

ふうむ、そうですか。

そのことに派生して、わりに色々なことを考えることになった。はたと立ち止まる。

毎日を悔いなく過ごせているか、やり残したことはないか、今やっていることは本当にやりたいことなのか、そういうことをとりとめもなく。

 

考えはちっともまとまらない。

どうも今のままでは悔やまれるのだが、自分の何がモンダイなのかもよく掴めない。

 

帰省の時に、妹に雑談の中で、

「もしさー、余命1年とかって言われたら、何したい?」

と訊いてみた。そしたら、

 

「何したい?あんまないなあ。片付けたいかな。ほら、恥ずかしいもんとかあるやん。(旅立つ)準備したいかな。

仕事?まーそれは暇やったら続けてもええし、ほんまどっちでもええねん。仕事が生きがいとか一切ないからー。

今は楽器を吹けてるからそれがほんま満足してんねん。ブランクもあったし、自分なんかって思ってたけど、やってみたらなんとかなるって分かって嬉しかった」

 

と言っていた。なるほど。

妹は、このところ精神的にはまずまず良い状態にあるなあと感じていた。

それほど楽器を吹くのが楽しかったのかーと驚く。再開できて本当に良かったねえ、と。

そして、今の職場で良いメンバーに恵まれたことも大きそうだなと見ていて感じる。

 

妹は、不器用でできることとできないことがわりにはっきりしている人だけに、年を重ねて自分なりに自分のやれそうなことと、どこが満たされれば満足かってことをかなりちゃんと掴んでいるのだな、偉いなと尊敬した。

 

楽器にしても仕事にしても、外部評価みたいなものは一切見ていなくって、「周囲の仲間たちと仲良く楽しく好きなことや苦にならないことをやっている」ということがゴールで、詰まるところ人生の楽しさってそれで十分のような気もする。

 

 

どうしてもここではないどこかにより良い何かがあるような気がしてしまう、現状が不本意だと感じるという今の自分のマインドは、妹よりもずっと子供っぽいと感じる。

いつも現状に飽き足らない好奇心が自分の人生をカラフルに、面白くしてきてくれたのだと思う反面、今はもうそういうフェイズでもないということが分かる。

 

 

悔いなくあるためには自分が何をやりたいのか、ぼんやりじーっと考えていて、ふと昨日湧き上がったのが、

「私は世界と和解したいんだ」

という言葉だった。言葉だけが先に出てきて、どういうことなのか自分でも良く分からないのだけど、あれがしたいこれがしたいどこへ行きたいとかじゃなく、自分の内側のことなんだということに触れた瞬間。

どういうことなのかある程度腹に落ちるまで、また何日も何週間もぼんやり考えるんだろう。

うつろう

この猛暑省ゆえ、何にも予定を決めず、ゆるゆると過ごすと決めた今回の母娘2人の帰省。

毎度の事ながら、体調を崩して寝不足になって帰ってくる。今日いちにちはリカバリーに充てる。仮にも生まれ育った実家だというのになあ。

 

父は、会うたびに青白く小さくなっていく。目ばかりぎょろっと大きくて、じっと見られると少したじろぐ。

ただ、前回の入院中と違って、随分自分のことは自分でできるまでに回復していたので(一つの動作にめちゃくちゃ時間はかかるが)、そこはかなり安心する。前回はお箸どころか、スプーンを持つのもやっとだったからなあ。

そして拍子抜けするくらい認知症も全然出てなかった。ただ、洗面所の棚に試供品サイズの小さな練り石鹸があって、「お父さんが食べたんや」と母が笑いながら教えてくれる。見るとかじった歯型が丸く付いていた。

 

今回の帰省中には、思いがけず涼しい日があったので、近所の公園へ一緒に散歩に行くことができた。車椅子だろうと思ったら、ベビーカーによく似た、椅子の座面の付いた老人用の手おし車を押すという。

大丈夫かと少し心配したが、予想に反してまずまずのスピードで歩き、公園の向かいにあるスーパーで好きなお菓子を次々買って、近くの洋菓子屋でソフトクリームを買ってきてベンチで食べることまでできた。

 

自分にとっては当たり前のスーパーでの買い物が、父にとってはすごい刺激ですごいエンターテインメントなのだった。ゆっくり、隅々まで店内を練り歩いて、欲しいものがあったらおっちんにカゴに入れるよう指示をする。

 

父は基本的に身勝手で気分屋なので、与えられたものだけを大人しく食べているという今の状況はいささかしんどかろうなと思う。今の気分で食べたいものをその場で買って好きなだけ食べるとかって、まずまずの至福だろう。

父の目を感じつつ田舎のどん臭いスーパーを見渡すと、カラフルで随分面白い場所に感じられて新鮮だった。

 

なんや結構できるんやん、これからもこうして過ごせるといいよね、と思うも、一人で自由に外出するのはさすがに無理。付き添う人がいなければ引きこもっているしかない。

母はそんなん付き添わないし、父も気兼ねして行きたいとも言えないので、退院後初めてのまともな外出だと言っていた。

 

私はたまのゲストだからいい思い出できたねくらいの感覚だが、母や妹は父の嫌な部分に日々触れているし色々こうむっているから、クールなものだ。自分も彼が若い頃全然好きじゃなかったから、まあそうであろうと思う反面、父の言い分を別段わがままとも思えず、当然のささやかな主張だよね、と内心感じるところもある。健康で文化的な最低限度の生活。

しかし、父の汚れものを洗う訳でもない、いちいち介助に呼ばれることもない自分には口出しする資格などあるわけない。

 

あと何回会えるだろう、と思いながら毎度故郷に戻ってくるのに、いつも大した話もせずまた別れる。今は元気な母だって、そんなにたくさんはきっと会えないのに。なんという話もしないまま、ただ食わせてもらい、色々手土産を持たせてもらい、新幹線の駅で手を振って別れる。

 

今回は、帰省中に年に一度の父の兄弟の集まりがあって、数年前にガンで亡くなった一番下の叔父の娘、私よりも年下の従姉妹がガンで亡くなっていたことを母づてに知って驚く。それを伝えに来たおばもガンが再発して今ステージ4で、ガリガリに痩せていたという。

 

 

毎度変わらぬようで、実は絶え間なく色々なことが移ろっている。

でも、「これが最後の帰省です、次はない」と言われても、きっと同じようなとりとめのない話をしているばかりなんだろう。

 

 

 

 

 

 

3人帰る

昨夜茅ヶ崎に戻る。

 

私の実家でみんなに可愛がられ楽しそうにしていたおっちんだけれど、うちがやっぱり良いのねーとぽかんとするくらい、戻るなりのハイテンション。彼女にしてはめずらしく、手のつけられないほどのはしゃぎようであった。

 

だんなさんに駅で拾ってもらい、家に荷物を降ろしてしばし休憩したら、また3人で車に乗って1週間の石川県キャンプから戻る優太の迎えに。

 

予想はしていたが、近づくとボーイスカウト集団の酸っぱいにおいにややおののく。このにおいの人々が数十人ぎゅっと密着して半日大型バスで移動してきたのか・・・!うーむ。

 

しかし、1週間能登半島の突端で、風呂なしクーラーなしテント生活して優太は少したくましくなったように見えた。

夜はテントにすら入らず草の上で寝ていたというので、蚊に刺されなかったのか訊くと、ボウフラが暑すぎてみんな死んだから、蚊が一匹もいなかったと言っていた。

「ハエはすごかったけどね。ハエうっとおしいよ」

そうでしょうとも、そのにおいですから。

 

最高で気温39度の日もあったらしい。一人も熱中症にならず元気で引率してくれたリーダーたちに感謝。

 

静かに整った部屋で一人優雅な数日間を過ごしていただんなさんは、一時に3人が帰ってきて突然の騒音、止まらぬおしゃべり、大音量の音楽やテレビ、脱ぎ捨てた服や散乱した荷物に酸っぱいにおいに苦笑し面食らっていた。家族って〜。

今年の人寄せ

締め切り2本を落とさず、MRI検査も受け、帰省の段取りも付け、息子を石川へ1週間のキャンプに送り出し、その他もろもろの仕事をこなしつつ、昨日の人寄せが無事終わった。茅ヶ崎花火きれいだったな。

結構いっぱいいっぱいの一週間だったなあ。やっと落ち着いてPCの前に座っている。

 

夏生まれで若い頃は南の国が大好きで、しょっちゅう暑いところをうろうろしていたというのに、今年の日本の夏はどうしたことでしょう。

ここまで「暑さに白旗」という感覚を持ったことがなかったかも。年のせいかとも思うけれど、昨日のお客さんのひとりで20年フロリダ在住のYさんは、今年の日本の夏はフロリダより暑い!と言っていた。やっぱり今年はとりわけ厳しい暑さなんだよなー。

観念して、無理せず過ごそう。日が合わなかったりで取材仕事も断り続けている。もう夏休み後半はまったりを決め込んで、映画と本三昧でいいではないか。

 

昨日はだんなさんのお友達のいろんな人が遊びに来てくれた。こうして集ってくれた面々を見渡すと、彼の人間性がよくあらわれていたなあと思う。考え方も話し方もマッチョな男性はひとりもいなくて皆穏やかで思慮深く、女性は(自分が小さくまとまって感じられてしまうくらいに)突き抜けた自分らしさを力強く生きている。そして、全員がそろいも揃って楽器か音楽をシリアスにやる人たちであった。

 

昼間、汗をかきかき庭で飲みつつBBQした後は、家の中でお茶をしながらバタドラムだの、笛だの、ディジュリドゥだのピアノだのジャンベだのでセッションが始まり、いささかご近所さんが気になるくらいの自由さ。みんないい年の大人・・・・(笑)

 

しかし、新たな風を運んでくれるような人たちとの会話、楽しかった。とりわけ初めて会った20代の素敵な女の子のことが心に残った。よく生還したね、というような大変な人生を経て、自分らしく生きられる場所と仲間を見つけて、人生が面白くって仕方ないみたいだった。

 

「こういう理由で自分はこれだけ傷ついたし損なわれた、というようなことばかり言っている自分が格好悪いって気付いたんです」

と言っていた。周囲がどう、システムがどう、おかしなことを挙げたらきりがない。選ぶのは自分。自分は自分のしたいことを悔いなくやり、自分の好きな人たちと繋がって行くだけだ。

そうやって、きっぱりと前を向いて軽やかに行く若者よ。どんどん行け、と思う。

つられて自分のことも正直に話す会話の中で、いろいろ学ばせていただいた。平たい言い方だが、もっと五感で生きねばなるまいよと省みさせていただいた。

 

 

そして、いつもうだうだと日常にまみれて共にいるだんなさんという人のありようが、彼が好きで付き合っている人たちを通してよく感じられて、自分の背筋を正されるような気持ちになった。

 

それは、生きている中でいろんなタイプの人と関わり、時には従わなければならなかったりして、いろいろなものに取り囲まれて生きているのだけど、大人の現実感を持ちつつけして巻かれはしない。笑われようと損をしようとどこかに清潔な志を持って生きるということを手放さないということだと感じる。

 

 

日々思っているが忘れがちだけど、改めて今年下半期の目標。

目に見えないものや、格付けできないものこその豊かさを感じて、他者への注意深さや思いやりが持てるほどの時間や精神の余裕と健やかさを保っておく。

不安と恐怖を煽るものにつり込まれず、自分のやりたい楽しいことにフォーカスする。

 

濃ゆい人々の面白すぎる話をひたすら聴く時間だった。自分のからっぽさが少し悲しかったけれど、毎日精進して、来年もまた笑顔で会えるといいなと思う。

「あゝ、荒野」前・後編

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2017年/岸善幸監督/304分(前・後編)

 

宿題だったので見られて良かったが、一日が終わってしまった・・・!前後編合わせてちょうど5時間の作品。おっちんも一緒に見て、まじでもうこんな時間?楽器の練習の時間がない〜!と焦っていた。

 

恥ずかしながら寺山修司の著作を読んだことがなく、その世界観をよく知らない。ちょっと不思議でエキセントリックなシーンが唐突に含まれていて、寺山修司ゆえの独特の表現がによるものなのだろうかな、と思いつつ見る。

 

けれどもこの作品、私は見られて良かったな。

まず、この物語の舞台である新宿という場所のリアルな魅力。暴力性をはらんだむきだしの率直さ、何でもあるのに何にもないという空虚な感覚。

 

テーマは「夜空はいつでも最高密度の青色だ」と近しい。

突き放したような孤独に自由な世界で、地べたに這いつくばるように孤独に生きる人たち。冷たくも優しい、臆病でいて行き当たりばったり、投げやりなくせに不器用で生真面目。

生きている意味が分からなくて、でもどうしても他者と繋がりたいという切実さを抱えて生きている。あなたや、私と同じように。誰もがちっぽけで寂しく必死だ。

 

新次と建二の得がたく美しい友情の結びつきと、彼らが暴力性とそれに相反する優しさや思いやりといった繊細な感情に引き裂かれながら、水際でしがみつくようにして生きているさまのひたむきさには胸打たれる。

 

「プロボクサーになる」という選択肢が、「まともになる」ことを意味しているというのは、平凡な人生を送っている自分にはなかなかうまく想像しにくい状況。でも新次と建二を見ていると、心情的にありありと迫る。根なし草なのに、どこにも行き場のないどんづまり感もまた。

長尺もあって、そんな違った世界の感覚にどっぷり浸れるのがこの作品の良さなのじゃないだろうか。

 

いずれにしても、この作品を引っ張っているのは二人の主役、とりわけ菅田将暉の輝きだ。「海月姫」の時も、誰だろこの人、光ってるなーと思ったけれど、本作の彼は素晴らしいな。燃えるような目と肌の白さが印象的だ。

 

新次の抱える生きがたさや社会との相容れなさ、それゆえの型破りの魅力が弾けるように表現されていて、はまり役と言っていいと思う。

どれだけ地味な格好をしていても、画面のどこにいてもはっと目を引く。「スケアクロウ」の若き日のアル・パチーノみたいだ。

良い意味で、どうあっても周囲より一段浮き上がってしまう強い魅力。ある人にはあるし、ない人にはどうしたってないもの。

 

不器用で心優しいヤン・イクチュンの演技も素晴らしかった。これまで見た吃音の演技のどれよりも自然だった。

主役二人の、命を燃やすようにしてボクシングと向き合う生きざまは、見るに値するものだと思う。

 

 

時代を2021年〜2022年の近未来に設定している。無意味な自殺が頻発し、街中で爆破テロが起こり、人々はなすすべなく希望を見失いかけている。

現在の日本をより極まった形で描いている部分に監督の思いを感じるが、政治的要素がいささか消化不良で、回収できていないストーリーラインが散見されたのが残念。やりたいことは分かるのだけど。

また、無意味なまでに多い場末感漂う濡れ場シーンの多さには閉口。子どもに見せぬよう、だーっと早送りして見なかったが、映画的には却ってそれで良かった感。

「マザー!」

リビングが蒸し風呂すぎて、家庭不和になるほどの厳しい汗だーだー生活から、やっとこクーラーがついた!これで猛暑も安心!と思ったら、昨日、今日と爽やかなお天気で拍子抜け。人生あるあるである。

 

おっちん長野、だんなさん名古屋。今日は優太と2人、こういうの珍しい。

今日は一日ぜったい怒らないぞ、楽しく過ごすぞ、と心に決める。

 

受験生は朝から散らかして、気ままにピアノを弾いて、あれ買ってこれ買って言い、今も大音量でクラシックを聴いているが。むうう。

さて、ブログを書いたら、今日は昼過ぎまで執筆して、ヨガ、そしてオケ当番。

 

 

昨夜の映画はこれ。

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2017年アメリカ作品/原題:Mother ! /ダーレン・アロノフスキー監督/121分/日本公開2018年4月25日(ビデオスルー)

 

「ゲットアウト」に続き、またもスリラー。

アメリカ本国での公開時に物議をかもしたことから、日本では公開中止になっていたこの作品。

やーな予感で、自分ではまずチョイスしないところだが、だんなさんが何と言ってもアロノフスキーだから、というのでまあそうかと思い一緒に見ることに。

彼の「レスラー」や「ブラックスワン」は私もかなり好きな作品なので。

 

「ゲットアウト」同様、つくづくホラーとコメディは表裏一体だなあと思う。

しかし「ゲットアウト」よりも10倍もしんどい、ストレスフルな作品。作品自体が無価値とは思わない。しかし、これは観る人を選ぶと思う。気力体力にある程度ストックがあるポジティブな状態でないと、やられる。

 

このシュールな展開、絶対笑かそうとしてるよね!?というレベルの不愉快すぎる理不尽が延々と繰り広げられ、そのカオスはとどまるところを知らぬどころか、もはやストッパーが外れた状態。アロノフスキーのイマジネーションの飛翔に驚くと同時に、どこまで行くねんこれ、と観ていて困り果てたほどだった。

 

もちろん、この作品のモチーフはすぐれてメタファー的であり、ただただ不快で残酷でショッキングな作品ではなくって、もっと普遍的なことを「ひとつの家の中での出来事」にぎゅうと凝縮した形で見せているのだろうことは分かる。

私は今の人間世界のありようのメタファーと感じながら観たが、「マザー=地球」という見立てで、人間が世界環境に及ぼしている態度を暗に表現しているという言説も、なるほどと思うところはある。

 

なるほど。我々自身を省みる上では、たしかに意義のある作品なのかもしれない。この作品で私がもっとも醜悪に思われたのはハビエル・バルデム演じる主人公の夫の詩人だが、彼のパーソナリティーには現代の欧米的・キリスト教的価値感への強いアンチテーゼが含まれており、考えさせられるものがある。

批判というより、もはやアロノフスキーにとってはひとつの自虐だなこれ、という感覚もありつつ。

 

そしてジェニファー・ローレンス演じるマザーは、これまでの作品で一番エレガントで美しく見えた。しかし彼女が受ける理不尽の数々は、観ていて本当ーにしんどかった。「もうかんべんしてよー」のオンパレード。いつ夢から醒めて元通りになるんだろう?と映画的展開を期待しつつ見るも、結局全てを焼き付くすところまで行ってしまうという・・・。

 

マザーは意思的でなく、美しくも受け身で、ちょっとはかりかねるようなつかみどころのない存在感なのだけど、彼女(=地球)に対し、無神経に欲望まるだしでどこまでも厚かましく侵略し損なっていく(=環境を我が物顔で破壊する)のが人間存在なんだという解釈で見ると、彼女のたたずまいが何か腑に落ちるところはある。

 

いずれにしても、地球環境のメタファーであれ、人間社会のそれであれ、アロノフスキーの目には、そこまで人間存在が愚かで欲望にまみれ、独りよがりで下品なものとして認識されているのか、ということを驚きをもって見る。

 

それは確かにある側面においては正しいんだろう。確かにこの物語の中にいる人々に対しての強い既視感はある。だからこそ、本国での映画公開時に観客達は激怒したのだ。彼らはそんなものは見たくない、そんなものは「元々ないもの」として隅に追いやっておきたかったのだし、醜悪な人間の姿にある意味「痛い所をつかれた」のだ。

 

 

後味が、ラース・フォン・トリアーの映画にそっくりだ。久々に「ドッグヴィル」と同レベルの後味の悪すぎる作品を見た。

ギャスパー・ノエの作品と同様、二度と見たくないけど、いつまでも忘れることができない、喉に刺さったトゲのような作品になってしまいそう。

 

それをして、この作品に一定の価値を見出すことについて、私は未だに答えを持たないのだけど。だんなさんにどう思うか訊くと、多様性を担保するうえでも、これが存在する意味はあると思うとのことだった。ふうむ。

 

 

とにもかくにも私としては、「優れた創作」なぞに価値を置きすぎる生き方は滑稽なイデオロギーに過ぎないと改めてつくづく思った次第。独断と偏見に基づいて言い切ってしまうが、それは、どんなに優れていようがやはり「二番目」であるべきなのだ、と私は思う。