続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

ブルーに生まれついて

まだ眠れやしないのでもういっちょ。

 

だんなさんが間違ってアマゾンプライムの無料体験をするをクリックしてしまった。我が家はNETFLIXも入っているので、1カ月後には忘れずに解除しなければならないのだけど、せっかくだからとウディ・アレンがアマゾン資本で作っている連続ドラマを見る。

 

例の心癒されるいつものオープニングは健在だったし、撮影のクオリティーは映画と何ら遜色ないものだったけれど、会話にキレがなく、役者さんもウディ以外は知らない顔ばかりで、演技も見劣りがする。全体に間延びした印象があってどうにものれない。

気がつけばソファでがーがー居眠りしてしまった。(それでこんな時間にぎんぎんな訳ですが)

 

面白い映画やドラマの法則。開始5分でもうどきどきわくわくしていること。エキサイティングとかノリが良いとかいうことではなくって、めっちゃ暗くても静かでも、面白い映画は胸がどきどき、これは面白いよと体が告げてくれるかんじ。どんなに眠くても目が覚める。逆の場合は残念ながら・・・というケースが多い。

 

だんなさんは、ウディ・アレンなりに今のひどいアメリカの状況に対して思うところがいっぱいあって、それをテーマや会話に乗せて彼らしく表現している、これはかなり意図的でポリティカルな作品だということで、一定の評価をしていた。でも私はやっぱり作品の魅力ありきで見てしまうな。

昼間の元気な時にまた見直してみようっと。

 

逆に、めっさ眠かったのに見出して1分でかきーん!と目が覚め、胸のどきどきとわくわくが止まらなかった映画は、イーサン・ホークチェット・ベイカーを演じた「Born to be blue」(邦題:ブルーに生まれついて)だった。

 

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冒頭のトリッキーな演出がいかにも洒落ていてにやりとさせられるし、やっぱりジャズはこうでなくっちゃ、というジャズそのものの空気感が画面に充満していて、ジャズの一番元気だった頃のタイムトリップをひととき堪能した。

 

イーサン・ホークは、味がある年の取り方をしたんだなあ。格好悪く、でもちゃんとどこか格好いい。捨て犬みたいな、みじめだけど放っておけない魅力があって、横顔もどきっとするくらいに似ていて。(似てるといえば、マイルズもディジー・ガレスピーもすごく似ていて、わーと感心しつつ、ちょっと笑った。だってマイルズのそっくりさんてどうしたって)

 

最近のイーサン・ホークは、自分とかプライドとかは二の次で、役者という仕事に本当にがっぷり四つ組んでいるという感じがする。どの作品を見ても好ましい。その中でも今作はピカイチで魅力的だった。

 

ロバート・バドローという若いカナダ人の監督にとって、これまでで一番のビッグバジェットの作品だったと思うけれど、すごくセンスが良くこなれていて、隙がなかった。いやあスタイリッシュだったなあ。

 

グザヴィエ・ドランもジャン=マルク・ヴァレもカナダ人。最近カナダ人監督の映画をよくいいと思うんだな。へー。

 

しばらく前は、ロドリゴ=ガルシアや、アレハンドロ・ゴンザレス・イリャニトゥとかメキシコ人だったなあ。何かあるのかなあ。

 

映画のことを考え出すとますます眠りが遠のくので、これくらいにしておこうっと。

ばらばらだけど仲良しな日

参ったなあ、眠れない。

 

今日はいつも通り、昼まで原稿書きをして、午後は縫い物(長いこと抱えていた宿題をやっとこ済ませられて、せいせいした)。

 

早朝、ゆうたは部活へ行ってしまい、昼前に帰って来てざるそばを食べ、午後は同じ部活の友だち「まきお」と遊ぶ。ゆうたは最近まきおとばっかり遊んでいる。

 

おっちんはゆっくり朝ご飯を食べ、クーラーの効いた部屋でのんびりしてから11時からの「 メアリと魔女の花」を見に、ひとりで映画館へ。2日前に予約して、ベストの席を取ってある。

感激して上機嫌で帰って来て、私の仕事部屋に入って来て「ねえ、あらすじ言っていい!?」と訊くから、「だめー」と言う。1から10まで長いんだこれが。

 

だんなさんは朝はサーフィン、午後はサーフィンのワックスとウェットスーツシャンプーを買いにモールへ。

 

みんな見事にばらばらで、好きなことを好きなようにやっている一日だった。

 

それで夕方にはなんとかまとまって、みんなで辻堂の老舗とんかつ屋「大関」でとんかつを美味しくいただく。

一日ばらばらだったけど、ご飯の時は盛り上がってみんなでわいわいと話す。帰り道もみな上機嫌だった。

 

休みの日だからって、無理にまとまって一緒に何かをやらなくってもいい。みんなそれぞれやりたいことあるのだから、人に迷惑をかけない範囲で好きなようにやればいいんだ。

人生フルーツ

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「メッセージ」と迷った末、だんなさんにくっついてこの映画を見に。ドキュメンタリーで有名な東海テレビの制作で、愛知県に住む老夫婦の話。91分の地味な作品にも関わらず、周囲がざわざわしてる、これは見とかないとかも、とだんなさん。

私もろくに知らなかったけど、なんとなく興味を引かれて。

 

まあーあっぱれなおふたりだった。

「人は生きてきたように死ぬ」のだという言葉を、おふたりに捧げたい。

今流行りの(って書く自分に悪意を感じるなあ)「ていねいな暮らし」みたいな、しゃらくさいことではなくって、実に無理がなく、夫婦がそれぞれ自立して好きなようにやっている、でも誰よりも気が合うから何でも自然に協力しあってやっている。

 

 

何か、色々しなきゃ人生じゃないなんていうイデオロギーがあるかと思うのだけど、本来は「暮らす」だけで十分なんだな、と思わされる。

暮らすことが退屈を知らないクリエイティブかつ自由なものであり、結構な重労働でもあり、おままごとでもあるという、大事なんだけど気楽に構えている感覚が何ともいいなあと思った。

 

英子さんの煮たブルーベリージャムをのせたヨーグルトをゆっくりと口に運び、味わってちょっと「ニコッ」とする修一さんの顔が今も心に残る。色々あろうがなかろうが、もう本当に今この美味しいジャムがうれしいなあ、それだけで十分だなあという満たされた顔。

 

老夫婦の起伏のない生活を、螺旋に構成することでしみじみとした深みを感じさせる演出の妙、ほとんど説明のない、言い訳めいたところのひとつもない作りも非常に好感が持てた。

 

ただ、始まりと終わりが少々芝居がかっており、無理に「映画」にしなくってもいいのにさあ、と思う感じはあった。ラスト、英子さんのきれいなお顔、日常を淡々と紡ぐ様子をじいっとただ見せて終わったほうが、どれほど沁み入ったろう。

同時に、ナレーションがわざわざ樹木希林でないといけないわけだと納得。箇所はすごく少ないけど、樹木さんだからこそ成立するナレーションだった。

 

それにしても、いつものように庭の草むしりをして、ひと仕事した後のいつものお昼寝をして、もうそのまま起きて来なかった。という修一さんの見事な最後。おだやかで可愛らしい寝顔のような死に顔。偉大な達成だと感じ入った。

 

帰宅後、にわかに庭仕事に精を出した私に、だんなさん苦笑。

さて、考えるべし

押し出されるみたいにして、7月に突入してしまったーという感じだ。

今日はいろんな事務作業でこんな時間になってしまった。もう書くのはやめにして、久々にブログで近況を書き留めておこうっと。

 

ちなみに、午後は極力PCを触らぬようにシフトチェンジ中のこの頃。

 

もうそろそろ、インタビューの案件が一区切りを迎えそう。

今後も続くか分からないけれど、インタビューしまくる日々は、楽しいことばっかりだったなあ。

途中、忙しすぎて不義理も起きて、落ち込んだりもしたけれど、やっぱりインタビューは大好きだ。できればこれからも続けたい。

 

先週、自分的には総括になるような1日があった。1日のうちに立て続けに2人、物書きの大先輩にお話を聞くことができた。

30年以上のキャリアを持つルポライターのIさんへの取材、午後に別のインタビュー(CM業界の人だった)を挟んで、夜は青山ブックセンターのの本店で山田ズーニーさん×プロインタビュアーの木村俊介さんのトークショーへ。

 

一日を通じていろいろな示唆がありすぎて、とてもひとことでは書ききれないのだけど、物を書いて生きていくということがどういうことかということが、肌感覚でようく分かった一日だった。

実際に会って何時間か話を聞く、その人の顔の表情や醸しているムードやちょっとした対応なんかに接することは、100通のメールにも勝る情報量だとつくづく思う。

 

多様な職業の人にインタビューをする中で、仕事を職種で紋切り型に捉えることって、かなり的外れであって、鵜と鵜飼に大別されるんだなーとしみじみ思うことが多かった。そして、どんな組織にも属さず、個人で生きていくことは大きな自由だが、同時に搾取もとどまることを知らないというかんじだ。

 

とどのつまり、世の親たちが、子どもに勉強せい、ええ学校に入れと言っているのって、平たく言うと「鵜飼になれ」って言うてんねんなあ、と思います。

 

なかなか両方をできている人は世の中少なくて、それができてれば最強なのだけど、大抵は「鵜」は「鵜」ばっかだし、「鵜飼」は「鵜飼」ばっかりの人生みたいだ。

そして私もだんなさんもばりばりに「鵜」人生だ。まあそういうことなんだなー。

 

経済のこと考えるなら、物書きになっちゃいけない、とまで言っていたIさん。

ズーニーさんはこんな話を。ベネッセという大企業の管理職時代は、合理性に従ってするすると人の首を切ったりしていて、全く気にもしてなくて心が痛みもしなかった。フリーになって初めて、地べたではいつくばるみたいにやっている人たちの気持ちがわかった。同時に霧がさーっと晴れるみたいにして世の中のからくりが見えてきた、と。

 

呑気なノンポリだった自分が今、社会や政治の事も以前より日々気にして生きているのは、子どもを持ったことと「それだけ今がとんでもないことになっているから」だと思っていたけれど、会社員時代、社会の事を全く!!と言っていいほど考えなかったのは、「会社員」だったからかも。と改めて思った。

全てにおいて、当事者意識というか、コミットメントが薄かったのだ。

考えるようになったのは、ましてや自分が大人になって成熟したからなんてかっこのいいものでは全然ない。私なんて、立ち位置だけみたいなことなんだと思う。だから、人の事どーこー言えた義理では全然ないな、と改めて恥じ入る思いだ。

 

自分にとって大事なもの。大事な人。

もう折り返し地点を過ぎて、日々あちこち痛い中で油差しつつ生きてる限りある人生。

売り渡してはいけないたましい、おもねない心。

 

日銭稼ぎじゃ意味がないと思うよ。とだんなさんが言ってくれた。

ほんとにその通り。

立派にも、今さら金持ちにもなりたかないけど、どこで終わりが来てもあんまり悔いないようには整えていきたいもんだと思う。

この仕事の区切りにまたよーーくよーーーーーく考えてみなくちゃ。

 

今週から仕事もしつつメンテナンス月間に入ります。

「光」

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今月は全然映画見れてない!ぎー!と思い立って、

昨日は夕方から河瀬直美の「光」を見に行ってきた。

ああ見られて良かったなあ。素晴らしかった。これまでの彼女の作品の中で間違いなく一番好きだ。

 

いつもながら、本当に映像がいい。湿り気のある日本独特の自然の空気感。湿気や風や匂いが触れられそうに思う。ただきれいで心洗われるというようなことでは甘いことではなくって、凶暴さをはらんだ暗さを内包した、生々しい自然。その無心さ、作為のない迫力。

 

そういう河瀬映画独特の感覚は、やはり河瀬監督自身の感性と深く絡み合っていると思う。彼女の持つ、女性らしい残酷さ、直感の生き物としての女の強さ、正しさや理性はどこか二の次という感覚があり、そのありようは時に傲慢なんだけれど、どこまでも正直で嘘がない強さが伴うので、誰も抗えない。

 

脚本が素晴らしかった。最小限の説明と台詞。役者の顔をクローズアップを多用して、じっくりと見せて行く。

ほんとうに、お腹の中から出て来た言葉しかそこにはないから、何気ない言葉の重みと納得性がものすごくあるのだ。もうほんとうの言葉しか、発したくないし、聞きたくはないんだと言っている。そんな脚本。

 

ほんとうの言葉に感情を揺さぶられる。その揺さぶられ方が、とても微妙なんだ。

何に自分が泣かされているのか、ちょっと説明が出来ない。訳が分からない。

そういう、心の奥深くに整理されないままに混沌と沈んでいる層が激しく揺さぶられる。分かりやすい映画ばかりの中、そういう上等な映画が見られて、とてもうれしい。

 

目の見えない人と見える人の関わりが描かれる。同時に、若い者と年老いた者、男と女の関わりも描かれる。

そこには、どうあっても超えることのできない分断がある。「分かり合うことは、不可能だ」とこの映画はきっぱりと言っている。

 

主人公の若い女性、美しく健康で、独身で身軽でまっすぐで、そして年相応に視野が狭い。

彼女との関わりの対比のなかで浮き上がるように、さまざまな弱い立場に置かれた人の心が浮き彫りになる。障害や老いといった、いかんともしがたい苦しみを抱えて生きる人のありようを、少しも誇張せず、けれど尊厳のまなざしを持って描いている。

 

弱者であることは、とても不便でみじめで、悲しいこともたくさんある。大事なものを諦めねばならないこともある。

けれど、弱者を見下すのは、お門違いだ。

語らないということが、議論しないということが、彼らが「考えていない」ということにはならないのだ。言葉でなんでもつらつら上手に説明する人の方が、賢いとみんな思ってる。

でもそれば全然、全然ちがう。

 

「可哀想な人」である彼らの、ぎくっとするほど鋭く聡明な視点。分かってもらえないということを前提に、謙虚に対話をする姿勢。相手の無知と傲慢さを静かに受け入れる忍耐。相手を無理にねじまげようとしないあきらめを含んだ寛容の心。

 

「想像力がないのは、どっちなんだろう」という台詞の重み。

 

分かり合えないということをベースに、私たちは生きていくしかないのだし、けれど、地道な努力の先には、必ずしも我を通す者と我慢する者という二者択一ではない、もっと豊かなものが生まれる余地もあるのだということを、この作品は示していると思う。

 

美しさがものごとを善く変えていく、そう信じたい。

 

うつくしくない国

あーーー朝からたまらなく嫌な気持ち。

共謀罪が、成立したらしい。

すごいなあ、このなりふり構わぬごり押し感。間違っていようが誰にどう思われようが、もはやどうでもいいという開き直りっぷりのすさまじさ。

議席を与えてしまって、たった数年でここまで来た。権力って、かくもあっという間に凶暴化するのだ。

 

権力って、ほんとうに人を豹変させるのだ。

ヤンキー先生、「文科省内部告発者を処分考えている」と。記者に聞かれて「正義の話をしているんではない、法にのっとってやっている」と、濁った目で答える。熱血教師の面影はかけらもなく、魂をなにかに売り渡してしまっている。

純粋に、よく分からないんだ。少しも幸せそうに見えない、陰鬱な顔。昔の教え子や、友人知人、まともな人は軒並み彼のもとを去っていることだろう。

それと引き換えに、彼は何を手に入れたんだろう。この先、どうありたいんだろう。本当に不思議でならない。

 

今の一連のことは、私たちが多すぎる議席を与えてしまったことがすべてだ。

このことを、みんなが心に刻んで、権力にあぐらをかいて好き放題した人物と、それに追従した人物のことをようく覚えておいて、次の選挙で権力の座から引きずり下ろすしか方法はない。

 

ああ、でも、これからますます、自由にものが言えなくなり、嫌な奴が威張り、嫌な奴に媚びる人間が増えると思うと、心底うんざりするものがあるなあ。

 

温泉と日本のおいしいご飯が大好きだけれど、日本脱出計画考えていかねばならんなあ、とだんなさんと話し合う、薄暗い梅雨の朝。

狂っている

今日は土曜日で子どもがいるので、まあはかどらないとは思っていたけれど、午後からゆうたの要請で買い物のはしご。つかれたー。帰って来てすぐに飲んじゃうから、もう何にもしたくなくなってしまうんだよな、と分かりつつも、やめられないんだなー、ぷしゅが。

 

ゆうたに「このごろ、おとうさんもおかあさんも仕事ばっかり」と言われ、反省。夜は夜風の中を4人でアイスとフルーツを買いにスーパーへ。

 

 

でも、仕事の能率が上がらないのは子どものせいだけじゃなく。

空いた時間にPCに向かっても、何だか気持ちがそぞろで、ニュースやツイッターを追ってしまいがちな今日だった。

 

だって今の政権すごいことになっていると思いませんか。

なんで、こんな同時多発テロみたいにすごい爆弾があちこちで爆発してるというのに、世の中がさほど事もないような、平然とした雰囲気なのがつくづく信じられない。

 

共謀罪も、加計学園文科省現役職員たちのリークも、レイプもみ消し事件も、読売新聞の官邸と癒着した記事も、国連からの度重なる告発も、どれもこれも頭がくらくらするほどめちゃくちゃな事態だ、と思う。

 

純粋に、ありえないでしょう、と思う。今の政権は狂っていると思う。どうしてみんな怒らないんだろう?これで別にいい、大したことではないと思っているのかな?と思うと、さらにくらくらする。

 

今の政府は、凶暴化していて危険な存在だ。歴史修正主義や、国家主義的考えをもはや隠そうともせず、詭弁を弄して、どうせ何もできはしないだろうと薄ら笑いを浮かべている。民主主義の国と思って来たが、一度過半数議席を与えてしまったら、こんなにも短期間に驕り、暴走してしまうとは。怖すぎる。

人間は、学ばないし、かくも愚かなものなのだということを、日々ひりひりと突きつけられている思い。

 

これまでずーーっと政治に無関心な人生だった。関心ないままで行けたら良かったのに。でもそれは、さぼって甘えてきたことから復讐されているということなんだな。「俺たちの民主主義なんだぜby高橋源一郎」だ。

 

お金のことや保障のことも大事だけれど、自分は、何より自由が大事と思う人生だから、個人が自由に生きることを制限し、国の思うままにしてやろうという人々の思惑だけはどうしても見過ごせないんだ。

 

 

ああ、それでも日々ご飯は美味しく、子どもたちはかわいい。素敵な音楽に感激し、初夏のそよ風に幸せを感じている。

そんなささやかな日々の中で、不吉な予感のように薄汚く、きな臭い事柄がいくつもよぎって行く。

 

まるで、映画「この世界の片隅に」の、冒頭のシーンみたいだ。

あの後、あれよあれよという間に、日本はひどい国になっていったんだった。

きっと、今私たちを取り巻く現実は今のところ、あの流れをなぞっている。とてもとても、残念だけれど、不安にかられた思い込みではないって思う。

 

人間を高く見積もるもんじゃないってことさ、とだんなさんは言った。

なんとか、なんとか踏ん張りたい。