続・みずうみ

小さく平凡な毎日の中で、自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

自分の身を自分で守るということ

涼しくて快適だなあ。

久々の何もない土曜日、9時まで寝坊の幸せ。

 

息子は6時過ぎから陸上の朝練。

9時に爽やかに帰宅した声で目が覚める。

そして部活の友だちを3人呼んで家で賑やかにwiiをしている。

一日の濃ゆさがこの時点で相当違うなあ。

 

下の子は、最近オーボエに熱が入っているよう。クリスマスコンサートで演奏する「Sleigh Ride」の練習をしている音が階下から聞こえて来る。

年を取ると、年々季節のイベント感を感じられないようになってくるけれど、子どもたちのオーケストラのちょっといびつな可愛らしい「スレイライド」を聞くと、「ああ今年も何はともあれみんな元気でクリスマスを迎えられたな、幸せだな」といつも思う。

 

子どもに家を占領されて、だんなさんは追い出されるように波乗り。

私は書斎で仕事しよう。

 

ありがたいことなんだれど、数珠つなぎのように仕事の依頼が来る不思議。

今は経済的に余裕があるので、自分がやりたくないことと、意義のあることしかしたくないなと思っている。ので、今回の案件は断る事にする。

 

 

一昨日のインタビュイーは、ファッション業界のクリエイター。ファッション業界の人って何人か取材しているけど、「ど根性な人が多い」という印象。クリエイティブうんぬん以前に、「気合いだ!出来ないって絶対言わない!」みたいなノリなのだ。わりに。

 

それでその方も、全くそのタイプだった。40才までにこの業界でこの仕事で生きていけるだけの基盤作りをする。そのために身体の動く30代はひたすら仕事するって決めた、と言っていた。毎日朝から深夜まで働き、休日は「基本ありません」。友だちと会ったり、遊んだりする暇も全然ないと言っていた。ああ、またこの手の方なのか。

がんばってて偉いなあとはもちろん思うのだけど、30代を越えてきたひとりの女性としては、何かあやういなあ、と心配になるような感覚の方が大きかった。

 

一人でフリーランスでやっていると、身体はひとつだから、心身がががたがたっと来た時にほんとにもろい。それがその方の魅力でもあり、個人的に人としてはすごく好感を持てる人だったのだけど、致命的に要領の良さが欠けている。

いつでも真っ直ぐに、顔を上げることなく、直線コースをがーっと走っているという感じのひとだった。闘牛みたいに。肩にぎゅうっと力が入っている。

上手いこと泳ぐ、サバイブする、ある種のそつのなさやドライさのようなものは、ひとりで、フリーランスで、クリエイティブの請け負い仕事をする人においては、結構必要な要素なんだろうな、と経験的に思う。

 

もちろん私とだんなさんにも、そんな器用な要素はない。ようく自覚しておりまする。だからこその着地点というものもわりに客観的に見えているし、身の程に応じたセイフティーネットを張ることで、身体も心も守っている、なんとかかんとか。

 

 

子どもの頃から派手で学校や先生ともぶつかって高校中退で、と聞くと、「不良だふまじめだ」と世の中的には思われるんだろうけれど、こういう方を見ていると、誰よりもまじめだから中退したのだし、実際今、こんなに誰よりもまじめじゃないか、まじめすぎるじゃないか、と思う。

 

世の中の要請に応えることに懸命になりすぎて、自分をすり減らしているまじめな若い人を、いとおしいとは思うものの、「騙されてはいけないんだよ」とも思うおばさんの私がいる。

 

特に女性の場合は、気がつけば子どもをもう産めない年になってしまっているというケースが、身近に何人も。

子どもなんて好きじゃない、結婚なんて興味ないと言っていた人が、40才になってはたと我に返った時に深く苦悩する姿を何人も見てきた。

人間も動物だから、本能は壊れているけれど、それはあるのだから。人によって前後はあれど、おおむね40才というのは、否応なく生命が死に向かって下降しだす分水嶺だから、身体を無視したツケは容赦なく回って来る。

 

自分も若い頃にはけして気付けなかった。打算も計画性も何もない人生で、めちゃくちゃ働いていたし。

でも、旅人時代に本能や感覚をすごく取り戻したこと、視野が広がったことでずいぶんいろんなことが変わったんだな、と今になって振り返ってみて改めて思う。自分は巡り合わせ的にラッキーなだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

環七の町へ行く

夜遅く帰宅しただんなさんが、

小竹向原はどうでしたか」と訊く。

そこは、彼が前の結婚生活を送っていた街だから、

私が訪れること、ちょこっとざわざわしていたみたい(笑)

 

環七の町ってかんじだった。あんまり心温まる町じゃないね。お店すらあんまりなくって。

そうだね、ただただ東京ってかんじのところだね。

などと言い合う。

よく行った中華料理屋さんの話だけ、前の奥さんのことは一言も言わない。私も特に聞かない。

 

 

彼が赤坂見附に地下鉄一本で行けるその場所に暮らしていた時は、仕事場と家の往復のみの生活で、まさに社畜時代。その頃の撮影現場の思い出話を何度か聞いたけれど、狂いすぎていて悪い冗談みたいだ。

彼は結婚がだめになったこともあって、きっといろいろ思うところあってそこから降り、海外をぶらぶらしていてハノイで私と出会った。

その時代を耐えぬき、まさに生き抜いた同僚たちは、業界から去った人もいるが、今も活躍している人も多いよう。こないだも、最近海外の映画祭で受賞した仲間のお祝いで集まろう、という電話がかかってきていたな。

 

仕事に忙殺されながら、都会で厳格なマクロビアンの年上の女性と暮らしていた人が、今は男の子と女の子の父と、だらしなくややこしい性格の関西人の妻の夫をし、もうあんまり仕事もせず(と言うと怒られそうだけど)、自転車で日がな波乗りへ行く生活を送っている。

 

ふむ。

 

さて、私はこれから小学校の花壇の世話ボランティアへ行って、昼過ぎまで原稿の直しだ。

 

 

またもジャームッシュ話。

今日はこれから小竹向原

遠いのう、ほぼ埼玉だ、と思っていたが調べると横浜から東横線副都心線にそのまま乗り入れいてるらしい。本を読もう。

 

帰りに渋谷で「サーミの血」を見て帰ろうと思っていたのだけど、だんなさんに夕方から急な打ち合わせがはいり、夜子どもだけになっちゃうのであきらめる。

 

良いこととしんどいことは、交互に訪れる。

小学生の時から「人生はプラマイゼロだな」と思う気持ちは変わらない。

それでも、自分なりのベストを尽くした、これ以上は自分の力では無理だったことだよ、というくらいにやることをやっていれば、何をどう言われても「まあしょうがないな」とわりにさっぱりと思えるものだ。

 

力及ばないことは、もちろんがっくりするし苦いんだけれど、どこか清々しい。後ろ暗いことはないから、素直に非を認めて、相手の立場を想像して対策を考える気持ちの余裕があることに気付いた時に、年を取ったことの善き側面を感じる。

 

大事なことは、自分はこうありたいと思う事を、ちゃんとできないまでも、逃げたり嘘ついたりせずそこに向かえているかということと、何かに首根っこをつかまれていないか、自分なりの自由を担保できているかということだなあ。

 

昨日、「ギミー・デンジャー」を見ただんなさん。上映後のトークショーで、「リミッツ・オブ・コントロール」にサントラを提供した日本のロックバンドのメンバーが、

「先日『パターソン』も見たけれど、ジャームッシュってまさにあのまんま、あの通りの人ですよ」

と言っていたそう。

どうして自分が「パターソン」がうれしかったかって、やっぱそこなんだよなあ。

 

だんなさんが、「デッドマン」のワールドプレミアをサンフランシスコで見た帰りのこと。関係者や招待者が軒並みセレブ然として、トム・ウェイツニール・ヤングとかも、皆華やかにリムジンで会場を後にしていた。その中でジャームッシュはふらーっと一人で歩いて会場から出てきて、(どうしたんだろう)と見ていると、その辺にいた数人のファンに応えてさらさらっとサインを書いてから、そのままふらーっと煙草片手に一人で歩いて行ってしまった。

「あっ、ジャームッシュ地下鉄で帰るんだ、と思ったよ」と思い出して話していた。

かっけーね、ジャームッシュ。周りがどうあってもずっと変わらないね。と言い合いながら、朝ご飯を機嫌良く食べた。

 

なんだか最近、ジャームッシュのことばかり書いているな。それは多分、今、自分が渇望しているものを彼がある意味で体現しているから、反応してしまうのだ。

「バスがカーブをゆったりと曲がるシーンを見ていると涙が出た」と言うと、「末期的だね」とだんなさんに言われた私ですから。

 

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お腹いっぱい

過ごしやすく曇っている。静かな気持ち。

だんなさんは朝から監督さんの家を引き払う手伝いに行った。

帰りには新宿で「ザ・ストゥージズ」のドキュメンタリー「ギミー・デンジャー」を見て帰るって。昨日は「コーヒー&シガレッツ」を見ていたし、ジャームッシュ祭りだ。

 

私は明日の準備を進めつつ、のんびりお洗濯や掃除をしよう。ひとりになれる時って、ほんとに少ないから、ぞわぞわするほどのびのびする。数年もすれば、放っておいても静かな暮らしになるって分かっているけど。つくづく微妙なバランスの中であれこれ勝手なことを感じつつ、そしてそのことを分かりつつもなお、あれこれ身勝手なことを思うものだ。

 

 

このところ、選挙をするというニュースにもやもや。正々堂々と考えを訴えるのではなく、周囲の状況が脆弱なのを突いて、姑息に勝ち抜けようとしている。後ろ暗いことは自分たちにもよく分かっていると見える。

いきなり教育子育て支援とか言い出しているのもすごいなあ。ほんとに選挙用の、守る気もない、口先だけの釣り文句というかんじで。

ここまであからさまなことをしても、「ばかにするな」とならないんだろうかな?

 

その場しのぎでいろいろなことを言うけれど、「何をしてきたか」「その結果どうなったか」が全てだ。全部きれいさっぱり解決なんて分かりやすい道はないのだから、ちょっとでも「Love&Peace」な選択をじりじりとひとつずつ、地道に続けて行くしかないよな、といつも通りに思っている。

 

 

また、やけに水原希子という名前がネットでちらついているので、だんなさんに何があったのと聞くと、「彼女がアメリカ人と在日コリアンのハーフなのに、日本名の芸名を名乗るのはおかしいって炎上しているらしいよ」と。一体それのどこがどう問題で、誰が迷惑しているの?もはや意味不明。ニュースを見ると、ほんと元気が奪われる。

 

 

随分前に見た、この動画のことを思い出した。声高に国籍について叫んでいる人、ぜひこのDNA鑑定をやってもらえばいいと思う。


momondo – The DNA Journey

 

 

自分はこうではありたくない、という反面教師のサンプルは、もうお腹いっぱいだよ。

ああ、今日もパターソンの事を思って元気を出そう。

三連休乗り切る

魔の三連休終わり、無事原稿も3本まとめて納品。

台風、もうちょっと長引いてくれても良かったけど・・・

 

週末、おっちんの髪を切るのに自分の通う美容院に付き添う。肩より上のボブ・カットにしてさっぱり。ヘアアイロンで「広瀬すず」のようにつやつやさらさらに仕上げてもらって、ものすごくご満悦だった。

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あまりにその気なので、美容師さんも吹き出すほど。「すずー」「すずー」と持ち上げると、チャルメラ広瀬すずのまね(猫のかぶり物をしてニャン!と猫手のポーズ)をしたおっちんに、「おお」と内心小さく引いた母。すごいなあーその自信、母ちゃんにも分けて欲しい。

 

 翌朝起きたら、いつも通り寝癖すさまじく、「麗子像」みたいになっていた。残念!仏頂面でますます麗子感がアップしている。

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今朝は息子の朝練なので、早起きして玄米を炊き、ほうれん草のごま和え・サツマイモの甘煮・ピーマンの肉詰めを作り、朝食の卵をいつものように焼く。

朝、一人ひと袋ずつ「燃えるごみ」の袋を手に子どもたちが風のように学校へ行ってしまうと、束の間の静寂。ものすごーくほっとするなあ。

そしてだんなさんも海へ行ってしまった。

私は一息ついたら、秋の花粉症についてのコラム1本+あさってのインタビューに向けての準備だ。

昼まで頑張り、ヨガに遅れないようにする。

「パターソン」

 

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昨日の昼間これを見て、夕方から仕事して、「企業人ってほんとによー(けっ)」と思いつつ帰りの混んだ東横線に乗り込んで、一度はどっと疲れたのだけど、

 

「あ、そうだ『パターソン』のこと思い出そう」と思い立って、映画のこと考え出すと、みるみる機嫌が良くなって我ながらびっくりした。

 

それで、噛み締めるみたいに、ずうっと「パターソン」のことを考えながら帰りの電車に揺られて、幸せな気持ちだった。

 

 

こんなにも愛着を感じるジャームッシュ作品に、もう一度出合えると思っていなかった。予想以上だった。とってもとってもとっても嬉しい。

 

ジム・ジャームッシュの脂が乗っていたのは、なんといっても1980年代後半から1990年代にかけてだけれど、20年以上経って、1991年の「ナイト・オン・アース」のように、思い出すといつでもにっこりとした気持ちになれる作品をまた届けてくれた。

こういう気持ちになれる映画は、他にはカウリスマキ作品くらいだ。

 

素晴らしい力の抜け具合、ジャームッシュらしい可愛らしいユーモア、同時にどこから見ても好ましく美意識は貫かれている。なんて心地良い調和。なんてスムースなんだろう。

 

ほんとにだんなさんの言ってた通りだし、「どうして皆こういう風に生きられないのかなあ。パターソンは特に難しいことをしている訳ではないのに」と思う。

 

撮影が好きとしかいいようがないのだけど、撮影監督は「ナイト・オン・アース」のフレデリック・エルムスという人。知らなかったが、デビッド・リンチジャームッシュ作品をはじめ、アメリカ映画なのにアメリカ的でないあの作品もあの作品も、彼が撮っていたのか、と改めて知る。

 

ティモ・サルミネンのように美しく夜を撮る。

さびしくて、でもどこかわくわくと心踊る。暗くて、そこではどんな奇妙なことでも起こりうる。そんな懐の深さを備えた、自由で広々とした夜。

それは、深呼吸したくなるような、泣きたくなるほどほっとする風景だ。

 

家のエントランスの感じとか、小径の緑や無骨なレンガ造りの通路。「よく周囲を見てみて。世界は美しいよ」と言われているかのよう。何の変哲もなく、しみじみと優しく心に馴染む。

 

バスが、朝車庫からゆっくりと出てきたり、街の交差点をゆっくりと右折したりするのが、どうしてこんなにもじんじんとああ、いいなあと感じるんだろう。

世界のどこかに、名もない善き人々がこつこつと世界を動かす部品に日々丁寧に油を差し、きりきりとねじを巻いているというイメージ。そういう無心な良心を信じられるような気分になる。

 

バスに乗り合わせた人たちは、きまって愚にもつかない、ちょっとずれたようなことを議論し合っていて、運転手のパターソンはそれを聞いてちょっとだけ笑ったりしている。

バーでは顔見知りの客が失恋して変に深刻になったり、マスターが奥さんにすごまれてしゅんとしたりしている。

双子が無意味にやたらと出てくるのも、可笑しく、効いているんだよな。

 

 

パターソンも、他の人々も無理に寄り添わない、どこか呑気にひとごとなんだけれど、奇妙だったりみっともなかったりする人々を、けして見下したり攻撃したりはしない。

気の効いたことも言わなければ、役に立とうとも特にしない。神妙そうな顔をしてただ聞いている。

それが、何ともあったかいのだ。

何のジャッジもせず、ただそこにあなたがいるということを当たり前に肯定するということが、何よりも優しい。

 

そういうことが、今の世の中、本当にできていないんだと思うし、そのことに、みんなの心の奥深くがすごく傷ついているんだと思う。

一億総括役社会とか、犬に喰われろと思う。

 

 

アダム・ドライバー、ちょっと変な風貌の役者なのに、どんな役を演じてもそういう人が確かにいるよね、という納得性を感じさせてそこにいる。面白いなあ。パターソン、実に可愛らしかったし、彼と「詩」との関係性のささやかさとかけがえのなさに胸が熱くなった。

 

ローラを演じたゴルシフテ・ファラハニ、「ぎー、可愛すぎるやろー!」と誰でも心の中で吠えずにはおれない天然全開のチャーミングさだった。

自由気ままで、責任感や整合性はなく、その時々の気持ちのまま生きている。彼女なりに大真面目に猪突猛進。それでいて、何の条件も計算もなく、まるで子どもみたいにパターソンのことが大好きで、心から彼を肯定し、甘え、彼の心に寄り添っている。

 

さらに、彼らの飼い犬マーヴィン。不細工な顔をした特に懐いている感じも薄く、散歩では呼吸がブヒブヒとうるさく飼い主をぐいぐい引っ張って歩き、しつけも大してなっていないイングリッシュ・ブルドッグ

「いるだけでいい」ということをこれ以上体現しているヒトはいない。

 

パターソンにとってのローラは(そしてマーヴィンも)、全然合理的な存在じゃない。彼にとっては理解しがたい、訳の分からないことに入れこんでいるし、奇妙な実験みたいな料理を作る。ローラもマーヴィンも、彼らなりの必然性でもって、てんで勝手に生きている。パターソンはそんな全部に「いいね」と言う。

でこぼこした存在たちがひとつ屋根の下で機嫌良く共に暮らしている。

 

でも、パターソンはローラがいることでどれだけ救われているか分からないし、もし彼女がいなかったら生きているかいがないくらいにさびしいだろうとひしひしと伝わる。

彼らが眠る姿そのままに、二人は実にしっくりと、入れ子みたいにぴったりと安定している。

 

共有するものしないもの、無理なく、気を遣わずお互い好きなようにしていて、でもなんの意地も攻撃性もなく、相手にハッピーであってほしいという優しい気持ちだけがある。巣に戻れば、お互いの話しをきちんと聞き合う。

 

それができるのは、彼らが努力をしていい夫婦であろうとしているからでは全然ない。

そういうきれいごと感は全然ないのがいい。

すごく気の合うふたりであるということはもちろんあるが、

まずもって彼らが変に忙しくないからだし、変な野心も、どんなイデオロギーもないからだ。

彼らがよそに心を、たましいを奪われていない人たちだからだ。

 

今の世の中は、痛々しいくらいにみんな余分な重荷をくっつけていて、それらと格闘している。私もそのひとり。

 

今や、彼らのシンプルさや軽やかさは、瞠目すべきものになってしまったということなんだろう。だから、ああなんていいんだろうと微笑みながらも、どこか苦いのだ。

 

 

「パターソン」は、あなたの恋人やパートナーや子どもや親に優しくしたくなる映画。ずっと大好きな映画がまたひとつ増えた。

 

 

有楽町→神保町

3連休は台風とのこと。

こもって仕事の予定だから、かえってありがたい。

為すすべないというのは、どこかほっとすることだ。

台風が過ぎたら、一気に寒くなるのだろうな。冬支度、冬支度。

 

今日はこれから有楽町。「パターソン」を見てから(わくわく)、神保町の編プロへ。ぞろぞろと関係者が来る不思議な取材だ。みなさんお忙しいだろうに。

私は万一に備えて、レコーダー2台体制。こんなに人がいても、自分以外の誰が何を担うでもない(カメラマンは別だが)というあたり、ますます不思議さを感じる。

誰のどんな思惑があるにせよ、いつも通り、良いインタビューになればいいな、と思っている。

 

気持ちが良い陽気だから、身支度もさくさくだ。

最近は時間の余裕があるので、久々に断捨離を地道にやっている。

初めて「煮洗い」というのにもチャレンジしてみた。息子の真っ黒い靴下を、ホーローの容器でぐつぐつと煮る。汁が真っ黒でぎゃーとなったが、さっぱりと気持ちがいい。

宿題が少ないと、暮らすことにちょっとずつかまけられるので気持ちが良い。

 

一人部屋をほしがる娘のために、書斎を明け渡すべく、片付けを始めているけれど、終わりは見えず。

今家族4人で川の字で寝ている部屋は、夫婦だけの部屋になり、子ども2人の空いたスペースに私のデスクとPCが移動することとなりそう。そして子どもたちはそれぞれの部屋で寝る。

おお、またひとつ新しいステージへ。あっという間に出て行ってしまうのだろうな。

 

さて、パターソン。